「自分のマラソンがわからなかった」と明かす福士加代子が、後輩ランナーに贈る言葉「自分にもっと期待感を持って」

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Jun Tsukida/AFLO SPORT

マラソンの難しさを痛感

――マラソン初代表の2013年世界選手権では銅メダル獲得。2009年以来、日本女子2大会ぶりの快挙も果たしました。

「あれは自分でつかんだメダルではなく、運でしたから。イタリアのストラネオ選手が最初からバーンと出て集団を絞ってくれて、たまたま私も30kmまでそこにつけていました。前のふたりから遅れ始めた時は4位だったけど、3位を走っていたメルカム選手(エチオピア)が、具合が悪くなって止まっちゃって。そういう運もあったので、たまたまという感じでした。

 でもあの時優勝したエドナ・キプラガト選手(ケニア)はすごかったですね。10kmくらいでは先頭集団から30秒くらい遅れていて、中盤から少しずつ前に来た感じで。『こうやって走って勝っちゃうんだ』というのを現場で感じられたのは面白かったですね。『マラソンの走り方っていろいろあるんだな』と思いました」

――その後はベルリンやシカゴで日本人トップになり、16年の大阪では自己ベストの2時間22分17秒で走ってリオデジャネイロ五輪にも出ましたが、自分のマラソンはわかりましたか?

「わからなかったですね。マラソンは自己ベストを出すのが難しくて、どうやったら出るんだろうというのが見えなくて。30kmから頑張るために、そこまでにどうやって体力を残すかがわからないし、毎試合ナマモノ過ぎてわからなかったです(笑)。 

 2時間20分突破も考えていたけど、どういうペースでいけばいいのか......。前半ゆっくりいけば後半が上がるのか。でも前半のスピードも必要かもしれないとか。できれば後半リズムに乗っていけるような走りをしたかったけど、私の場合は後半に落ちる度合いが大きかったから『もうわからん』となってしまいました。

『長い距離を走らなきゃいけない』とか『何かをしなきゃいけない』ということに、私もとらわれ過ぎていたのかもしれません。みんな長距離は、耐えるとか我慢と言うけど、我慢するということは、そこからタイムが伸びていかないということだから。世界と戦うなら、伸びないといけないですし、我慢じゃなくて、楽にいける走りをすればいいのでは、とも思っていました」

――実業団入りしてから23年間の現役生活でしたが、振り返るとどうですか?

「面白かったですね。最後に自分で終わりを決めて走れたのも楽しかったし。最初は誘われて陸上を始めて、やらされていた感もあったけど、『結局は、自分で選んできたんだ』というのが最後の最後になってわかりました。最終的には自分の責任なんだって、いい勉強にもなりました」

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