福士加代子が振り返る、笑顔で走り続けた23年の陸上人生「世界レベルで戦えているのが面白くて」 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Naoki Nishimura/AFLO SPORT

トラック競技で感じた弱さ

――トラックレースで記憶に残っているのはどのレースですか。

「やっぱり、5000mで初めて14分台を出したレース(2002年のベルギーの大会)ですね。もうひとつは、3位でしたが、渋井ちゃんや赤羽有紀子さん(ホクレン)と競り合って31分10秒台のレースをした08年日本選手権の1万mです。今映像を見ても、あの時を思い出して面白い。日本選手権のトップを争う緊張感というのはやっぱり一番面白いです」

――当時は日本記録を出しても、さらに上に行きたいという気持ちが強かったですよね。

「やっぱり世界大会やヨーロッパ遠征を経験して、『日本人って弱い!』と感じてしまって。5000mでも14分は当たり前で、15分10秒でも予選を通過できないくらいだったし、しかもラストも速くて『ダメだ、こりゃ』みたいな(笑)。それを一度体験しちゃったので、常にそこを目指していました。でもそれは悔しいというより、そのレベルの舞台で戦えているのが面白くて。『同じ人間なのだから、どうしてもあのレベルに行かなきゃいけない』って、いろいろ考えたりやったりすることも面白かったです」

――トラックレースでは、3大会出たアジア大会で金1銀2銅1を獲得し、アジア代表で出た06年ワールドカップでは5000mで3位になっていますが、五輪と世界選手権では09年世界選手権の1万m9位が最高。今までの話を聞くと、もしそこでメダルが獲れていたら辞めていたかもしれませんね。

「そうですね。でもどの大会も面白かったんです。特にヨーロッパ遠征は、観客の盛り上がり方も違って、試合の雰囲気も違って、心から『楽しい!』って思っていました。そこでは最低15分台ひと桁で走らないと通用しないから、そのために頑張っていたような感じです。感覚的にはメジャーリーグみたいな感じですかね。

 だから日本選手権に出ると『アレッ、寂しすぎる。地方大会かこれ?』みたいな(笑)。でも国内で唯一すごかったのは、大阪の世界選手権(07年)ですね。観客の地響きでトラックが揺れていたのを覚えています。私は主要な大会前にいつもケガをしていて、大阪もギリギリで間に合ったので、神がかっていたような感じでした」

――盛り上がりましたよね。そんなトラック競技を経て、2008年の大阪国際女子マラソンで初マラソンに挑戦しました。

「トラックは本当に楽しかったです。結果がすぐ出るから練習のやりがいもあるし、ダメなところがわかったら『ここを直せばもっとよくなる』とタイムも伸びました。得るものがいっぱいあったけど、マラソンになってからは苦労しましたね、『答えはどこなんじゃ、これは』って(笑)」

後編:「自分のマラソンがわからなかった」>>

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