箱根駅伝より実業団を選んだ。世界選手権代表内定、5000m遠藤日向が歩む独自の道はすべて「世界と戦うため」

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 高橋学●撮影 photo by Takahashi Manabu

大学進学を選ばなかった理由

 こう照れる遠藤は中学時代から全国を制覇し、福島県の学法石川高校時代は世界ユース選手権やU20世界選手権にも出場。高校3年生では1500mと3000mは高校ランキング1位で、5000mも日本人トップ。インターハイでは1500mで優勝して5000mは前年に続いて日本人トップの3位になった。

 当然のように多くの大学からも誘いを受けたが、「僕は箱根の対する思いがそんなになくて、大学へ行かないで実業団にいき、トラック競技で世界と戦いたいという気持ちのほうが大きかった」と、高校を卒業して2017年4月に住友電工に入社。1年目の2018年1月1日の全国実業団駅伝では、スピードランナーが揃う1区で区間賞を獲得し、早々に頭角を現した。

 このとき目標にしたのは2020年東京五輪で、そこへの近道が実業団入りという考えだった。そう思うようになったきっかけを当時はこう話していた。

「世界と勝負したいと思うようになったきっかけは、高校2年の時に出た世界ユース選手権で、本気になったという点では、3年の時に出た世界U20選手権のほうが大きかったです。

 世界ユースの3000mで5位になった時は、『メダルを獲る』と勝手に思って臨んだのですが、ケニアとエチオピアの選手がひとりずついた予選でレベルの違いを感じさせられました。

 それがあって、U20の5000mは最初から無理だろうと思っていたし、当時は高校記録を狙いながらも、一杯いっぱいになる前に自分から離れてしまったところもあり、13位でした。レースが終わってから『ヤバいな』と思って、すごく悔しくなりました。自分の力を出しきっても勝てる力はなかったけど、自分が逃げてしまったというか。せっかくの世界の舞台で何をしているんだろうと思い、自分が本気で変わっていかなければ世界では勝てないと思いました」

 住友電工に入ってからは、まずは1500mに取り組んだ。出場を目指す東京五輪に向けては、1500mと5000mに絞って狙いにいき、2024年のパリ五輪は5000mと1万mを狙い、その次はマラソンという青写真を考えていた。

「ナイキ・オレゴンプロジェクトで練習をしていた大迫傑さんも1500mからスピードをつけてきているので、自分もスピード強化をしたいというのもあって、住友電工の渡辺康幸監督も同じ考えだったので、自然とそういう形になりました」と言うように、アメリカのオレゴンにあるバウワーマン・トラッククラブ(BTC)にも、定期的に武者修行にいくようになった。

 昨年は3月からアメリカの大会に積極的に出場していたが、秋と冬にケガをした影響もあり、東京五輪標準記録に13秒弱足りずに涙を飲んだ。

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