女子100mニューヒロイン候補の青山華依。東京五輪では「8番の人が出る」と言われ、日本選手権でのリベンジを目指す

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 弓庭保夫●撮影 photo by Yuba Yasuo

東京五輪出場決定後に経験した悲しい思い

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「目標は決勝進出だったから、終わってからはテンションが上がりましたね。決勝ではロンドン五輪出場の土井杏南(JAL・2位)さんがいて『かっこいいな。一緒に走れるのはすごいな』と思っていたし、優勝した御家瀬さんもその後のインターハイで戦うのはわかっていたので、『ついて行けたらな』と思っていました。自分では決勝に出られただけで満足だったけど、親も喜んでくれたし周りの友達も喜んでくれたのですごくうれしかったです。でも東京五輪は無理だと思ったし、『来年の日本選手権でまた表彰台に乗りたいな』と考えていました」

 コロナ禍で変則開催となった20年10月の日本選手権。青山は4位に止まった。だが、大会延期のために東京五輪出場枠獲得がかかることになった、21年3月の世界リレー選手権日本代表選考トライアルでは、向かい風0.4mの条件でU20日本歴代4位タイの11秒56で優勝。前年の日本選手権の100mを制した兒玉芽生(福岡大・現ミズノ)や200m優勝の鶴田玲美(南九州ファミリーマート)などともに代表に選ばれた。そして5月1日からの世界リレーでは苦戦が予想されたなか、1走を担当して予選を2位で通過すると決勝では4位になり、東京五輪とともに21年世界選手権の出場権を獲得した。

「20年に五輪があったら出られなかったのでめっちゃ運がよかったと思います。自分はそこまでいくと思っていなかったし、もし狙うならパリ五輪だと思っていたのでその時も実感がまったく湧かなくて。五輪の本番の数日前くらいにやっと実感が湧いてきた感じです(笑)」

 五輪までの道は危機にも見舞われた。世界リレーから帰国後は腰の状態が悪くなって動けなくなり、練習ができない時期が1カ月ほど続いた。「やっと走れるようになってからすぐの日本選手権だったので、決勝にいけたのも奇跡だと思いました」という状況で8位に止まった。それでも世界リレー出場メンバーを優先する選考基準で、東京五輪代表入りは果たしたが、その一方では悔しい思いもした。

「世界リレーで日本代表になってからは見られることも多くなって、ちょっと強い選手というラインにきていることをすごく意識しました。だから東京五輪も『8番の人が五輪に出る』と言われたのが悲しかったですね。選考基準があってそれで選ばれているのに、何でそう言われなければいけないのかと思い、けっこう心にきました。だから東京五輪でしっかり走り、出てよかったと思われるようにしたかった。大きな試合になると陸上ファンの方がけっこう見てくれるので、そういうところでもしっかり記録を出していかないといけないなとも思って。次の代表は日本選手権でしっかり結果を出して選ばれたいと思いました」

 これまで夏はバテて食事も喉を通らなくなるほど苦手だったと笑う。だが東京五輪へ向けてはしっかり調整もでき、納得する走りができた。そして世界のトップ選手を間近で見て衝撃も受けた。

「自分は1走で外側のレーンだったので周りの選手は見えなかったけど、バトンを渡してからはずっとレースを見ていたので。バトンパスの部分は日本も負けていないけど、海外の選手はバトンを失敗しても全然速かったので個人の力が違うなというのを実感しました。100mも見ていたけど本当にすごくて、『私たちにもあんな走りができるのかな。無理じゃないかな』と思って少し自信もなくして(笑)。やっぱり筋力の差は大きいですね。リレーの招集の時に海外の選手と並んだら身長は一緒でも筋肉がすごくて。向こうから見たら私はガリガリに見えるだろうなと思いました。でも、私たちが筋肉をつけても走れるというわけではないと思うので、そこはまだ試行錯誤ですね」

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