初マラソンの日本記録保持者、星岳が箱根駅伝で得たもの。区間賞獲得は「ステージがひとつ上がった感がある」

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 西村尚己/アフロスポーツ

大学2年時に10区で区間賞を獲得

 高校から陸上を始めたため、2年の途中までは練習を含めて壁にぶつかることが多かった。だが、コツコツと努力を重ねて走力を高め、2年の12月、5000mで初めて14分台を出した時、「少し上が見えるようになった」と言う。そして箱根駅伝を走るために帝京大に入学するのだが、陸上部に入ると箱根を走ることが容易ではないことを実感した。

「部にはインカレや箱根で活躍されている先輩がたくさんいたので、箱根に挑戦できるワクワク感がありながらも先輩との力の差を実感し、箱根を走る難しさを改めて感じました。4年間で4回しかチャンスがないなか、故障とか体調不良のリスクを考えると、強くても出られない可能性がある。僕は4年で1回は箱根を走りたいと思って入学したのですが、そんな悠長なことは言っていられない。4年間とかではなく1年1年が勝負だなと思いました」

 星は、大学1年時はとにかく走る力をつけることに注力した。そして、大学2年の時、箱根駅伝出走のチャンスを得るために、あるレースに集中した。

「全日本大学駅伝の出走メンバーから外れた時点で、箱根を走るためには上尾ハーフに狙いを絞ってアピールするしかないと思っていました。そこで、結果(5位・62分20秒)を出せたことで自信がつきましたし、箱根もイケると確信しました」

 上尾ハーフは、主力以外の選手にとって箱根駅伝を走るための選考レースになっている。ここで結果を出した選手は、故障などがないかぎり、箱根駅伝の登録メンバーに入り、出走するチャンスを得る。星もそのチャンスを手にして、10区の出走を勝ち獲った。中野(孝行)監督が唸った力走で区間賞を獲得した星はチーム内でエース格となり、3年時は2区をまかされた。

「2年時に初めて箱根を走った時は、自信はありましたけど、まさか区間賞を獲れるとは思っていなかったです。3年の時の2区は、前年よりも不安や緊張が大きかったですね。10区とはまったくコースも展開も違うので、前回の経験がどこまで生かせるのかという不安が大きかったですし、実力的にも相澤(晃・東洋大―旭化成)さんを始め、すごい選手が多かったので緊張もありました。ただ、周囲の選手を見ても仕方ないので、とにかく自分のベストを尽くそうと考えていました。駅伝は流れがあるので、この時は1区の小野寺(悠・現トヨタ紡織)が結構いい走りで襷をもってきてくれたので、そういう流れも大きかったと思います」

 この時、奇しくも大阪マラソン・びわ毎日マラソン統合大会で優勝を争った山下一貴(駒澤大―三菱重工)は星と同じ2区を走り、浦野雄平(國學院大―富士通)は5区を走っていた。2区9位とまずまずの手応えを感じた星は、走り終えた直後、「次も2区で」と思ったという。その狙いどおり、最終学年では主将として2区を駆けた。

「4年の時は、やっぱり3年の時に経験しているので、それを活かして前回以上の結果を残したいと思っていました。3年の時はスムーズに行った感があったんですけど、4年の時はあまりうまく走れなかったですね。それがなぜなのか正直わからないですけど......気負いすぎていた部分があって、それが力みにつながったのかな......」

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