箱根駅伝6区の記録保持者が語る、走りのポイント。「序盤の上り5キロでどれだけ攻められるか。下りで怖がらずに走れるか」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 松尾/アフロスポーツ

 ややオーバーペース気味に突っ込んだが、「あとは下るだけ、惰性でもいける」と気持ちを切り替えた。だが、そこからしばらくはメンタルを削ぐようなロードが続いた。頂上から恵明学園前の約3キロは道幅が狭く、クネクネしており、観客が唯一いないエリアだ。立っているのがチームの人間で、ラップや先行するチームとのタイム差などを教えてくれるだけだ。

「ここが6区のなかで、ある意味もっとも厳しいところかもしれないですね。車も人もいないんですよ。似たような景色が続いて、ちょっと下り勾配がゆるやかになるのもあって一気にスピード感がなくなるので、精神的にキツいんです」

 だが、館澤は、ギアをマックスにして下って行った。

「最高地点から小涌園のユネッサンまでは急な下り坂が続くので、そこで貯金を稼いでおきたいと思い、かなりペースを上げていました」

 館澤は、テンポよく、足を回転させて下っていく下り特有のスタイルではなく、大股の独特なフォームで坂を下って行った。下り走行のセオリーとは正反対だが、「下りを速く走るためだけにフォームを変えないといけないとか、気にしすぎるのは僕にとってはよくないと考えていました」と語るように、早ければフォームなど気にする必要がないのだ。

 また、館澤は、下りに特化した練習をほとんどしていなかった。レース前の11月に故障から戦列に復帰し、戦えるコンディションを上げていくのに精一杯で、その練習をこなすのだけの時間も余裕もなかったからだ。

 順調に下っていくなか、函嶺洞門の付近で、館澤の足が突然、悲鳴を上げた。左足の踵が焼けるような痛みになり、そこから頭のなかは「激痛」で満ち、走りに集中するのが難しくなった。そこで館澤が取った行動は、より自分を追い込んだ壮絶な走りだった。

「もう痛すぎて、頭のなかが『痛い』しかないんですよ。でも、(心肺的な面で)極度に苦しくなると、その痛みが薄れていくんです。足の爪もめちゃくちゃ痛かったんですけど、走りで苦しめば痛みが消えると思って、湯本あたりからはひたすらペースを上げ続けるつもりで走っていました。走り終えたらしばらくは休めるので、『もうどうなってもいい! とにかく早く走る!』という感じでした」

 箱根湯本を越えると監督車が合流し、一度、上って下ると前方の景色が開けていく。館澤の視界に入ったのは前を走る国学院大のうしろ姿だった。

「うっすらと国学院大の姿が見えた時は、テンションが上がりました。よし、ここまで追いつくことができたんだ、と。そう思うとラストもう一回スピードを上げることができたんです」

 監督車の両角速監督からは「館澤、すごいぞ」という声が飛んだ。だが、館澤は何がすごいのかよくわからなかった。このままいけば59分をきれるぐらいになるのかなと思い、それを維持させるために少し煽っているのかなと思っていた。

 足の痛みを我慢しつつ、がむしゃらに走った。国学院大の背中が大きくなっていくにつれ、気持ちがより前へ、前へと向かった。

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