最後の福岡国際マラソン。瀬古利彦、中山竹通、藤田敦史らが見せた伝説の走り3レースを振り返る (4ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Jun Tsukida/AFLO SPORT

 そんなレースが動いたのは37.5kmだった。なかなか前に出ようとしないアベラが藤田に近寄ってくると肘が当たった。「『なんだ?』と思ったけど、その途端に後ろに下がったので、きついからペースを落とすためにぶつかってきたんだと思った」と話す藤田は、アベラが遅れ始めたのを確認して35.8kmからスパートをかけた。そこからの100mで一気に4秒差まで広げると勝負をつけた。

 藤田が"勝つためのマラソン"と考えていたのは、終盤勝負のスタイル。「自分はラスト100mで勝負する瀬古さんのようなレースをしていたら絶対に負けてしまう。それで勝つために考えたのが、ラスト5kmからのロングスパートだった」と話す。

 どのレースを見ても日本人選手は、35~40kmが15分台中盤以降に落ちてしまっている。「日本人が勝つためにはそこのペースを上げること。その区間やラスト37kmからの5kmを14分台に上げれば勝てるだろう」と考えた。

 そんなマラソンを作り上げて実践したのが福岡だった。40kmまでを14分44秒に上げてアベラを完全に振り切ると、ラストの2.195kmは6分23秒でカバー。同年世界ランキング2位で世界歴代11位の記録で初優勝をもぎ取った。

「シドニーに出られなかった悔しさを、この福岡にぶつけるんだという気持ちで走った。それにシドニーでは日本勢は振るわなかっただけに、このチャンスを絶対にものにしたいと思っていた」

 こう言って笑顔になった藤田が見せたのは、圧倒的な強さを持つマラソンだった。

 長年続いてきた大会が終わっていくのは寂しいことだが、最後の福岡国際マラソンで、どんなレースが見られるのか。しっかりと目に焼きつけたい。

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