東京五輪で大活躍、広がる田中希実の夢。800mでは「来年、日本女子初の1分台も狙いたい」 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by YUTAKA/AFLO SPORT

 5000m予選敗退後は、周囲の人から1500mに向けて「楽しんで1本走っておいで」と声をかけられたという。だが、逆に「誰も期待していないからこそ、思い切り自分をぶつけ、本領を発揮したい」と田中の心に火をつけた。

「予選で4分02秒33を出せたことで、『まだいける』と思えたのが準決勝につながったと思います。大会前からコーチである父と『決勝に行くには4分切りが必要』と話していたので、準決勝では3分台を出さなきゃいけないとわかっていました」

 予定どおり準決勝で、3分台を出して決勝にコマを進めた。この走りを田中はこう振り返る。

「全力疾走しただけという感じで実感はあまりなかったです」

 続く決勝の舞台でも、積極的な走りをして3分台を再び出すことに成功したが、準決勝よりもタイムを落としたことに悔いが残った。

「『決勝にさえ残れたらあとはボロボロでもいい』と父とは話していましたが、いざ決勝に残って『日本人初の決勝で日本中のみんなが見てくれている』と考えたら、どうでもいい走りをしてはダメだと思いました。最低限入賞はしなければと緊張もしたので、準決勝のようにのびのび走るという部分が少し薄れたのは心残りでした」

 こうして五輪初出場ながらも大会の中で成長を見せた田中は、中学時代から注目されている逸材だった。兵庫県の西脇工業高校を卒業後、実業団には進まず同志社大に進学すると、クラブチームという形で豊田自動織機にサポートしてもらいながら競技を続行する珍しいスタイルを選んだ。

「将来的にはマラソンも走ってみたいと考えてはいますが、中学で走ったのがトラックだったので、"陸上と言えばトラック"というイメージがあって、そこでもっと記録を伸ばしたいという思いがありました。まずは、トラックでいけるところまでいきたいと考えると、駅伝も走る実業団ではトラックを追及しきれないまま、マラソンに移行することになるんじゃないかなという不安もありました。トラックに集中できる環境を作ってくださる方が周りに何人もいたことで、それなら自分のやりたいことにチャレンジしたいとクラブチームでの活動を選びました」

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