20km競歩で池田向希と山西利和がメダル獲得。銀と銅で表情の明暗がはっきり分かれた理由 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by AJPS

 ラスト1kmを切ったところから再度仕掛けてきたスタノには対応できず、じりじりと離され、終盤には歩型の崩れでレッドカードを立て続けに2枚出された(3枚で2分間のピットイン。4枚で失格)。

「安全策を取ってどんどんペースダウンをすれば後悔すると思ったので、最後は強気に行きました」と、銀メダルを獲得。「もちろん前に金メダルの選手はいましたが、まずはメダルという形で結果を残すことができて、素直にうれしいです」と喜びを表現する。

 優勝したスタノは15年と19年世界選手権はともに10位台だったが、池田が優勝した18年世界競歩チーム選手権では、山西を抑えて3位になっていた選手。大会前の世界トップリストでも1時間17分45秒で7位につけていた。さらに高温多湿の気象条件も「18年と19年には日本で合宿もしていたし、この気象条件は大好きで、他のレースほど難しくはなかった」とレース後に話していた。

 山西も「中盤以降は彼が集団を引っ張っていたので、今日は強かったし、力負けしたなという感じです」と評価した。

「この銅メダルを経験のひとつにするという表現はあまり言いたくないけど、今は本当に不甲斐ないです。悔しいというか、何か、『こんなもんじゃない』とも思うけど、次に向けて粛々......。自分の弱さや甘さと向き合って、それをクリアしていくことが次につながっていくと思います」

 こう話す山西は、王者としての歩きを東京五輪で見せられなかった悔しさとプライドを持って、再び頂点を目指すだろう。

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