20km競歩で池田向希と山西利和がメダル獲得。銀と銅で表情の明暗がはっきり分かれた理由 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by AJPS

 それでも追走集団を引っ張り、12km過ぎには王を集団に吸収。7人の集団になって4分0秒台後半のラップが続いた後、17kmからタイムを一気に3分48秒まで上げてスパートをかけた。

 それに反応したのは、マッシモ・スタノ(イタリア)と池田向希(旭化成)。

「あそこは勝つためのスパートでしたが、逃げ切れなかった時点でもう勝負ありだったと思います。相手が離れなかったというか、そこまでに相手の力を削れていなかったというのが正解だと思います」

 こう話す山西は18kmを過ぎてからスタノが少しペースを上げると厳しい表情になり、3位という結果になった。

 そんな山西に対し、納得の銀だったのが池田だ。高校時代は無名で、東洋大2年の18年には、世界競歩チーム選手権の20kmで優勝と一気に頭角を現した選手だ。

 その後の日本選手権や世界選手権では王者・山西の陰に隠れる形で勝ち切れずにいた。だが今回は、勝ちを意識するのではなく、山西を始めとする強豪選手に挑戦するという気持ちで臨めたことが幸いした。

「勝負はラスト5kmと考えていたし、自分より実力のある選手がたくさんいるので、15㎞までは落ち着いて余裕を持たせようと思い、集団の中でも後ろのほうについていました」

 17kmからの山西のスパートにも「ここでつかなかったら勝ち目はない」と耐え、山西が後退したあとスタノに食らいついた。

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