2021.06.08

山縣亮太に起きていた変化。悲願の9秒台達成の舞台裏をコーチが語る

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Naoki Morita/AFLO SPORT

 その後、9秒台達成は桐生に先んじられたが、山縣はその2週後の全日本実業団では追い風0.2mの条件で10秒00を出し、翌18年もアジア大会の決勝で10秒00を出して銅メダル獲得。安定した力を見せてきた。

 だが、19年はシーズン序盤から背中痛に苦しみ、6月の日本選手権は肺気胸で棄権。サニブラウンや小池が9秒台に突入する中、戦線を離脱した。その後も足首の靭帯断裂や膝の故障などで、ここ2年は苦しみ続けた。

「これまでで一番苦しかったのは、今年の冬かもしれません。肉離れくらいだったらどうすればいいかわかっていましたが、膝の場合はある程度治ったとしても、同じ動きをすればまたやってしまうから完治はしないというか......。だから動きを変えていくような大改革が必要なので、それがしんどかったです。練習をしていてもちょっと膝が痛くなると、『競技を続けられないかもしれないな』と思ったりもしました」

 こう話す山縣はこれまでコーチをつけずひとりで試行錯誤しながら自分の走りを追求していたが、状況を打破するためには、アドバイスを求める存在が必要だと考えた。そこで、100mハードルの寺田明日香やパラ陸上の高桑早生を指導する高野大樹コーチに指導を依頼。山縣が、練習拠点とする慶応大の男女単距離だけではなく、プロコーチとしても実績のある高野のコーチングを見てきた山縣は、自分にとって彼が最適な存在だと考えた。

「山縣自身も、セルフコーチングというのは変えていないと思います。だから僕は彼に教えているという感覚はあまりなくて、彼が課題と考えていることを話してもらって、それを一緒に考えていくという感じです。

『膝に負担をかけないためには、股関節や体幹など上半身の動きをよくするようにしよう』とアドバイスしましたが、彼自身も膝や足首が痛くなりそうな傾向が見えたら、自分で察知して、こうケアしようと考えるようになった。自主的に取り入れているのは、進化しているところだと思います。

 最初の頃は私や寺田が話していた、"走りのタイミング"という言葉のイメージが自分の中にはないと話していましたが、最近では『タイミングが合ってきた』『リズムよく走れている』と口にするようになっています。走りの技術を理論で考えていた山縣でしたが、身体の感覚も変化していると思います」