「歯科医か、ハードルか」110mH日本新の金井大旺が明かす進路選択

  • 宮部保範●取材・文 text by Miyabe Yasunori
  • photo by Sankei Visual

【ラ・サールでの生活】

── 話は、金井が「一番きつかった」と振り返る高校時代へ。インターハイ出場を決める全道大会が定期試験の直前に開催されるなど、時間的な制約のなかで文武両道を実践するには、それまでにない努力と工夫が求められた。

金井:ラ・サールでは概して部活動の自由度が高く、生徒一人ひとりにスポーツと学業のバランスのとり方は任されていました。陸上部でも、種目がバラバラなこともあって、部員全員で集まって練習することはなかった。かなり自由な反面、技術を向上させるために自分で道筋を考えないといけない環境でした。でも、それが僕には合っていたのかなと。ほかにも、テニス部や野球部の同期にはインターハイに出場したり、卒業してから東京六大学野球の投手になったりした選手もいました。

 学業面でいえば、僕は高校2年の文理選択で、歯科医になることを見据えて理系を選びました。まわりには早い段階から医学部に行くことを決めている同級生が多かった。ラ・サールには、理系=医学部を目指す、という雰囲気がありましたから。英語と数学は、中学受験組(内部進学)の人たちと進度の差があるので、その授業になるとクラスが別になる。中学受験組は高校2年までに教科書の内容をひととおり終わらせるのに対し、高校受験組(外部入学)は3年の6、7月に終わるという感じです。
 
 僕の成績は、半分よりは上くらいだったと思います。僕たちの学年にはいませんでしたが、1つ上の学年では7人が落第(留年)しました。落第すると、ほとんどが退学してしまう。だから、試験の時は本当に必死でした。正直、学校で授業を真面目に聞いていればなんとかなるんです。だけど、(陸上の大会等で)遠征している間に授業が進んじゃうんですよ。特に物理はきつかった。授業を聞かないと理解が難しい内容だったので、授業に出られなかった部分は、問題と答えを突き合わせながら、「どうやるんだろう」とじっくり考えて、理解できるまで粘っていました。

 今でも覚えているのが、インターハイ出場を決める全道大会の時。5泊6日の遠征で、それが毎年大事な定期試験の直前にあるんです。自分が出場する日じゃなくても、朝8時に宿を出て試合の終わる夕方5時過ぎまで競技場にいないといけない。だから、アップしてから自分が出場するまでの合間など、空き時間を見つけては、競技場のテントでテスト勉強をしていました。正直、全然集中できなかったですが(笑)、不安すぎて何かやらなきゃって。意地でなんとか乗り越えたという感じでした。

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