「恥ずかしいから褒めないで」鈴木健吾の大学時代から日本記録更新までの軌跡

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Kyodo News

 MGC本番では、本来の力を発揮できずに7位。東京五輪出場のラストチャンスとなるファイナルチャレンジも、20年びわ湖で12位と、東京五輪への挑戦は終わった。

「MGCは正直、戦えるという気持ちはなくがむしゃらに行こうと思っていました。代表が内定した人たちを見ても、自分はやっぱり戦えるポテンシャルに達していないとわかりました」

 福島監督は当時をこう振り返る。

「入社1年目は故障で結果を出せなかったですが、2年目はトラックでのスピード練習をまったくさせられず、MGCに出るのが精一杯でした。去年のびわ湖で東京五輪への挑戦が終わってからは、体がまだ華奢でマラソンに耐えられる筋力がついていないということで、ウエイトトレーニングを継続させ、チームのメンバーとのスピード練習の積み上げを始めました」

 その成果は、昨年1万mの自己記録更新という形で表れた。そこで1万mでの東京五輪出場の可能性も狙って、2020年12月の日本選手権に出場したが、33位と惨敗だった。

「自分が求めていた質の高い練習ができず、本番も歯が立たないまま終わってしまいました。それで改めて『マラソンしかない』と考えて、びわ湖の出場を決めたんです」

 本格的なマラソン練習を始めたのは、今年の元日の全日本実業団駅伝が終わってからだった。この1年ほどは故障もなく練習を継続でき、スピード面での積み上げもあった。その成果が以前より力強い走りに表れていた。さらに少しずつ自信を持つことができていたからこそ、勝負どころを見極める精神面での成長も生まれていた。

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