スター選手不在。箱根5位の東海大は「ゼロからチームをつくり直す」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Kishimoto Tsutomu

 両角監督が「いいところ」と言ったのは、往路3区までのレース展開だろう。当日変更で1区は市村朋樹(3年)に代えて主将の塩澤稀夕(4年)を入れ、3区には石原翔太郎(1年)を抜擢した。

 塩澤は区間2位と快走して流れをつくり、石原は力強い走りでトップに躍り出た。

「塩澤は日本選手権があったので、1区が適切かなと思いました。ただ、本来であれば市村を1区に入れて、塩澤を4区で使いたかったんですが......市村はケガでトレーニングができず、外しました。石原は20キロの距離でも全日本の時のような走りを見せてくれたので、それをモノにできなったのが悔やまれます。せっかくいい流れでいったのですが、佐伯(陽生)に過剰な期待をかけてしまったのかなぁと。それよりも、市村の故障が大きかったですね」

"たられば"になってしまうが、もし市村が健在であれば、3区で石原、4区で塩澤を配置し、さらに畳みかけるレースができただろう。そうすれば往路優勝も現実味を帯びていたはずだ。その勢いで復路も制するのが両角監督のプランだった。

 昨年の館澤享次(現・DeNA)、小松陽平(プレス工業)らがいた復路メンバーと比較すると、今回のメンバーで勝つためには往路でできるだけ貯金を稼ぎ、あとは逃げ切るしかなかった。

 しかしその狙いは霧散し、経験不足を露呈する結果となった。彼らに顕著だったのは、後半のペースダウン。濱地も最初は軽快に入ったが、中盤から苦しくなり、後半は足も体も動いていなかった。長田も並走した飯田に競り負けるなど、粘り強さを欠いた。

 なぜ復路の選手たちは、後半に勢いを持続できなかったのか。両角監督が言う。

「これはトレーニングの問題もあったと思います。今回はレースに出ず、長い距離を走って強化したんですが、学生がどういう気持ちで練習をやるのかということに対して、少しテコ入れをしていかないといけない」

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る