東海大でサークル出身→箱根10区の選手へ。伝説の男「途方もないことをやりたい」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Sankei Visual

 金子がコモディイイダに入社した当時は、まだ8時間勤務だった。それが週2日、6時間になった。現在は、総務部でデスクワークに従事している。残業はなく、練習や合宿は出勤扱いになるので、出社は少なくなった。「周囲の理解がないとできないことです」と金子は言うが、仕事の競技の両立は、選手として、どう感じているのだろうか。

「決して楽ではないですよね。デスクワークは上半身が硬くなり、疲労度もあります。それでも8時間勤務の時よりはかなり楽です。その当時は、仕事を終えて夜7時ぐらいからポイント練習をして、寮に戻ってくるのが午後9時過ぎで寝るのが11時ごろ。翌朝6時に朝練習の集合なんですが、ポイントをすると興奮してなかなか寝つけないんですよ。それで寝不足になり、疲労がなかなか抜けなくて大変でした」

 金子は練習環境の厳しさを感じていたが、気になったのはチームに蔓延する空気だったという。

「8時間勤務をしているということが、ほかのチームと競った時、負けてもいい材料というか要因になっていたんです。あのチームはあれだけいい待遇でやっているんだから、俺たちが勝てるわけないと......。それがうちのチームの負け癖になっていました」

 自分たちの練習の環境面を負けの言い訳にしていたということなのだろうか。

「そうです。それでも今年1月のニューイヤーに出場し、チームとしてひとつ目標を達成しました。ただ僕は、まだまだ個々がやるべきことがあるんじゃないかなと思います。うちの選手は特別なことをやらなくてもできてしまう選手が多いんですけど、そのレベルは一流ではなく、一流にたどり着かないぐらいのレベルなんです。競技者である以上、もう少し走りを追及してもいいと思うんですよ」

 金子が走りを追求し、さまざまなトレーニングに取り組んでいるのは東海大時代の経験があるからだ。ケガが多かった金子は、全体練習に参加できないことが多かった。体力や走力が落ちることを危惧した金子は、走る動作を分解し、個別にトレーニングをしていた。

「脚力、心肺機能、フォーム、空中姿勢とか走る動作など必要な要素をバラして、個々にトレーニングしていけば速くなれるのではないか、そう思ってひとつずつ時間を取ってトレーニングをやり始めたんです」

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