日本のクイーン・オブ・アスリートは寂しがり屋。ヘンプヒル恵の素顔 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文text by Oriyama Toshimi
  • 村上庄吾●撮影 photo by Mukarami Shogo

4年生ではサイド、5、6年生はシュートを決めるフローターを任されていた。写真/本人提供4年生ではサイド、5、6年生はシュートを決めるフローターを任されていた。写真/本人提供――七種競技はどういった経緯で始めたんですか?

 中学3年生の時に、陸上部の顧問の先生から「(中高一貫の)高校では400mハードルと七種競技のどっちがいい?」と聞かれたんです。混成競技もやりたいわけではなかったけど、400mハードルがどうしても嫌だったから、消去法で七種にしました。今思えば、何でその2つの選択肢だったのか、不思議なんですけど(笑)。

――初めての海外遠征はいつですか?
 
 高校2年のときに、ウクライナへ世界ユース選手権で行った時です。自分の力を試すというよりも、初めて行く場所はどんなところだろうというワクワク感のほうが強かったです。

――初めての海外の選手と戦った感想は?

 初めて戦った海外の選手たちはすごく大きくて、体つきも全然違いました。「日本では(自分も)大きい方だと思っていたけど、ここでは全然小さいじゃん。同じ17歳なのに一生懸命頑張っても届かないレベル。ここからこの差をどう埋めようか......」という不安も漠然と感じていました。

――自分はどんな性格だと思いますか?

 陽気で「大丈夫、何とかなるよ」っていう父の性格と、慎重な母の性格を半分ずつもらっていると思います。混成競技をやっていてそれはすごく感じるんですが、うまくいかなかった種目から気持ちを切り替えられるところは父に似ていて、逆に、大丈夫なときほど慎重になるのは母似だと思います。

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