女王・ヘンプヒル恵に訪れた試練。競技から逃げて見つけた戦う意味 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文text by Oriyama Toshimi
  • 村上庄吾●撮影 photo by Mukarami Shogo

「手術する予定だったんですが、ユニバーシアードまで頑張って調整しました。エントリーはしたんですが、結局は棄権しました。スタンドから全種目を見ていて、悔しいという感情よりも、『なんでこんな目に遭わなくてはいけないんだろう』という、むなしさを感じていました。

 帰国後すぐに手術をして、リハビリを経て12月からジョグができるようになっても、ポジティブに考えることができなくて......。『これもできない、あれもできない』と考えてしまって、負の連鎖に陥っていました。体の状態を考えればできなくて当たり前なのに、そんな自分を認められず、『なんでこんなこともできないんだろう』と考えてしまっていたんです」

 翌年2018年、驚異的な回復力で復帰して6月の日本選手権には出場したが、結果は2位で4連覇を逃した。その後、中大を卒業して社会人になって、体も徐々に戻りつつある中で出場した19年4月のアジア選手権では、足首に痛みが出て途中棄権。ひざにも痛みが出るようになり、続く日本選手権は欠場した。

「ずっと勝つのが当たり前だったので、負けるのがすごく怖くなっていました。今までは『できるだろう』と思えばできていたのに、そうじゃなくなったことで心と体がマッチしなくなっていました。日本選手権欠場は、もちろん足も痛かったけど、練習ができていないことで気持ちがしんどくなってしまい、正直に言えば逃げたんです。

 その時は怒ってくれる人もいたし、逆に『逃げてもいいんだよ』と言ってくれる人もいました。いろんな意見を聞いた時にあらためて思ったのは、『私は誰かに強要されて陸上をやっているわけではない。自分がやりたいからやっているんだ』ということでした。

 応援してくれる人も元気にしたいし、自分も楽しくやりたいはずなのに、『苦しみながら競技をやって、そんな姿を人に見せるのは私のやりたい陸上じゃない』と思い、(考える時間として)しばらく競技を離れることにしたんです」

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