桐生祥秀が日本人スプリンターの意識を変えた日。「世界と勝負する」 (5ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by Kyodo News

 だが、不安材料もあった。世界選手権のリレー後に左ハムストリング筋(太ももの裏)に違和感があったのだ。その影響もあって、狙うのは100mではなく、高校3年以来ベストを出せていない200mの自己記録の更新、という気持ちになっていた。

 しかし、大会初日の8日、追い風参考記録ながら100m予選で10秒18、準決勝で10秒14。好感触を得たことでその気持ちが少し変わった。桐生は、100m決勝のスタート時には「この脚、最後まで持ってくれ......」と思っていたという。

 そんな気持ちがかえって幸いしたのか、スタートで力まずに走り出すことができた。前半は多田修平に先行されたものの、力むことなく加速した桐生は中盤で交わし、47歩で駆け抜けた。直前に行なわれた女子100m決勝は、追い風2.3mだったが、男子のスタート時には風が収まり、追い風1.8mと絶好の条件に変化していた。

 ランニングタイマーの計時は、9秒99で止まった。

 土江寛裕コーチは一瞬喜んだあと、手を組んで祈っていた。98年アジア大会の伊東もランニングタイマーは9秒99で止まったが、その後の正式計時で10秒00になった。土江コーチはそれを現場で見ていたからこそ、正式タイムが9秒98に変わると、両手を挙げて飛びあがり、涙を流した。グラウンドでは桐生が飛び跳ねていた。

「僕は何事も根拠を大事にする」と土江コーチは言う。「桐生が1年の時は9秒台を出せる根拠がなかったので、9秒(台を目指せ)とは言えなかったんです。しかし、15年にかけてウエイトトレーニングも取り入れたことで、追い風参考の9秒87という結果が出ました。とはいえ、それは本人がやりたい形のトレーニングではなかったことが、ケガにつながったのだと思います」

 その後は、桐生が主体性を持つようになり、自らが望むトレーニングを積み重ねていった。そんな進化の継続が9秒98という結果につながったのだ。

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