アテネ五輪マラソンで野口みずきは決めていた。作戦的中で金メダル! (2ページ目)

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

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 レースは8月22日に行なわれた。大会前から注目されていたのは、01年に2時間18分47秒の世界最高記録を出して、03年の世界選手権でも優勝していたキャサリン・ヌデレバ(ケニア)と、その記録を02年と03年に塗り替えて2時間15分25秒に到達していたポーラ・ラドクリフ(イギリス)だった。

 午後6時のスタート時、気温は35度。序盤はアップダウンもあり10kmから32kmまで上り坂が続く難コースが、日本チームには追い風になった。

 日本勢で最も期待されていたのが野口だった。事前にコースを研究し、その作戦どおりの走りをして、00年シドニー五輪で金メダルを獲得した高橋尚子に続く日本人連覇の結果を出した。

 野口を指導した藤田信之監督はこう言う。

「昨年(03年)の世界選手権は32kmからヌデレバに行かれて負けた。この暑さなら、いくら(ペースの速い)ラドクリフでも前半からは行かない。30kmを過ぎてからが勝負になるが、32kmから競技場までは下り坂。相手は脚の長い大きな選手ばかりだから、そこに入ると150cmの野口に勝機はない。

 だから、下り坂になる前に野口の特性を生かして集団を散らし、余裕を持って走らせようと思ったんです。いちばん負担がかかる25kmから勝負をし、最も傾斜がきつい28kmで決着させる、という作戦でした」

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