最後の箱根で東海大・館澤亨次が魂の走り。主将を勇気づけた黄金世代の絆 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Matsuo/AFLO SPORT

「今まで6区は、下りが得意ということで選手を選んでいたんですけど、館澤は上りが得意なので、そこで稼いで、下りではほかの選手と変わらず、最後の平地で再び攻める。新しい6区の走りというのを示せたと思いますね」

 館澤は上りで後続を突き放し、前をいく国学院大と青学大を追った。最初の芦之湯ポイント(4.8キロ地点)で45秒詰めて、トップの青学大と2分37秒差になった。一気に逆転の期待が高まり、館澤の走りは何かを起こしてくれそうな気配を漂わせていた。

 館澤が6区を打診されたのは、12月に入ってからだった。

「『6区いけるか?』って監督に聞かれて......。自分も含めて3人候補がいたんですけど、走力的には自分が一番よかったですし、期待されていたのでやるしかないなと」

 そうは言っても、簡単にことは運ばなかった。じつは11月末の合宿に参加した時、体重は66キロあり、ベスト時よりも4キロオーバーしていた。ごはんが大好きで、リハビリ中もしっかり食べていたので体重が落ちなかったのだ。「そんな体では箱根は走れない」と両角監督に言われ、まずは食事制限から始めた。

 さらに、箱根の距離に対応すべく、ジョグを25キロに設定した。そうして12月のクリスマス合宿の頃になると、ポイント練習でもいい感じで走れるようになり、体重も4キロ落ちた。あまり調子が上がらない選手がいるなか、館澤は山下りができるところまで整えてきたのである。

 レース当日、スタートする館澤はこんな思いを抱いていた。

「ケガの不安や怖さはなかったです。100%ではなかったのですが、今日はケガをしてもいいかなという思いでスタートラインに立ちましたし、序盤から飛ばして足がぶっ壊れても58分30秒を切って襷をつなごうと。ケガよりも、最初から攻めて足が持たなくなることのほうが怖かったですね」

 序盤から順調な走りを見せたが、下りに入ると青学大との差があまり縮まらなくなった。

「下りに入ると余裕がなくなって、何度か止まりそうになりました」

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