東海大・鬼塚翔太が苦境を乗り越え復調。箱根での力走を盟友に誓う (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Sho Tamura/AFLO SPORT

 3年時も出足は悪くなかった。ゴールデングランプリ大阪の3000mで7分57秒56の自己ベストを更新した。だが、関東インカレで結果を残せず、夏合宿も故障に見舞われ、出雲は出走できなかった。それでも全日本では5区で区間2位と復活を印象づけ、箱根では1区で区間6位とチームにいい流れをつくる走りで初の総合優勝に貢献した。「トラックで自己ベストを更新できず、自分の走りは100%ではなかったけど、箱根で優勝できてよかった」と笑顔を見せていた。

 また、1月末からアメリカ合宿を行ない、大迫傑(おおさこ・すぐる)と一緒にトレーニングするなど、ランナーとして刺激を受けた。そして3月のスタンフォードでの5000mでは、14位ながら13分55秒81とまずまずの走りを見せ、飛躍のきっかけをつかんだかに思えた......。

 4年になり、春からおもに5000mでの自己ベストを目指したが、一度も達成することができなかった。夏はアメリカに渡り、再び大迫と練習するなど、秋の駅伝シーズンに備えたが、故障してしまい万全でない状態で出場した出雲は5区を任され、区間4位。レース後、「自分の走りができなかった。自分が区間賞を獲っていれば......」と責任を感じていた。

 なぜ、自分の走りができないのか──。自問自答を繰り返したが、なかなか答えが見つからない。ここ2年、自己ベストを更新できなかったことについて鬼塚は「かなり悔しい」と心境を吐露した。

「3、4年で自分が思い描いているような納得のいく結果は出なかったですけど、いろいろ学べて成長できた部分はあったと思います。ただ、タイムが出ないというのは相当悔しいです。何がいけないのか、今はまだ探っているところなんですけど......気持ちの持ち方というか、メンタルのところをもっと強化していく必要があるのかなと思っています」

 大きな舞台をいくつも経験して、レースでもほとんど緊張しないタイプ。練習もマイペースで絶対にブレない鬼塚が、メンタルの弱さについて言及するとは思ってもいなかった。

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