箱根連覇へ東海大の最後のピースとなるか。館澤亨次が大ケガから復帰 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Sato Shun

 チームが8月にアメリカ合宿を行ない、9月に紋別で選抜合宿をしている時も、館澤はJISSで治療とリハビリをしていた。最終的にJISSを出たのは9月25日だったが、すぐにチームに合流できたわけではない。しばらく、ただ歩くだけの日々が続いた。

 その頃、チームは出雲駅伝に向けて調整を行なっていた。トラックで出雲組がポイント練習を行なうなか、館澤は下のクラスの練習を見たり、練習前に来て選手に声がけをしたり、キャプテンとしてその時できることを精一杯こなしていた。

 館澤が不在のなか、出雲駅伝こそ4位に終わったが、全日本駅伝は優勝を果たした。アンカーの名取燎太(3年)をはじめ、3区の塩澤稀夕(3年)、4区の西田壮志(3年)、それに5区の市村朋樹(2年)がすばらしい走りを見せた。

「ほんと頼もしいですよね。今日の松崎(咲人/1年)もそうですが、下の世代が上がってきて、ようやくチーム力がついてきた感じです。4年で頑張っている選手に3年生が刺激を受け、それを見て下級生たちが育ってきているので、チームとしてはすごくいい状態になっています」

 館澤は夏合宿が終わってから、チームに変化を感じたという。

「僕は自分から強く言って引っ張ることはしたくないんです。言われてやるクセがついてしまうと、チーム力は育たないし、言われないとできないチームになってしまう。ただ、夏前までは言いたいことがあったんですが、我慢していたんですよ。でも、夏合宿が終わってからチームは変わりました。自分がキャプテンになった時、一人ひとりがチームを動かしている自覚を持ってやってほしいと伝えたのですが、やっと全体が自主的に動けるようになりました」

 昨年、当時4年の三上嵩斗(SGホールディングスグループ)の提言で、両角速監督、西出仁明コーチは選手の自主性を重んじるようになった。ポイント練習や合宿など、チームとしてまとまってやる練習はあるが、たとえばジョグの量は選手自身に任せた。結果的に選手個々の練習量が上がり、箱根駅伝優勝につながるタフなチームになった。今年も自主的に動けるようになったということだが、昨年と何が違うのだろうか。

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