出雲の悔しさは全日本で晴らす。箱根の「主役」たちが復調してきた

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Sato Shun

東海大・駅伝戦記 第64

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「しゃー!」

 小松陽平(4年)がスピードに乗ったラストスパートで郡司陽大(4年)を抜き去り、トップでフィニッシュラインを切った。タイムは135949

「絶対に両角(速)監督と西出(仁明)コーチを後悔させてやろう。その気持ちだけで走りました」

 日が落ち、あたりが暗くなっていくなか、小松はしてやったりの表情を見せた。

出雲市陸協記録会の5000mで優勝した東海大4年の小松陽平出雲市陸協記録会の5000mで優勝した東海大4年の小松陽平 出雲市陸協記録会は「もうひとつの出雲駅伝」と言われている。同じ日に行なわれる出雲駅伝に出場できなかった選手がその悔しさをレースにぶつけ、次の全日本大学駅伝に向けてアピールする5000mの記録会である。出雲に出場している大学の選手が集まるので、必然的にレベルは高い。今回は青学大の鈴木塁人(4年)や駒澤大の神戸駿介(3年)らも出場していた。

 小松が圧巻の走りを見せた2時間前、東海大は出雲駅伝を戦い、4位に終わった。レース中、小松は4区を走る市村朋樹(2年)の付き添いをしており、戦況をテレビで見ながら悔しさを噛みしめていた。

「レースを見ていて、ただただ走りたかったなぁって。それしかなかったです」

 小松が出雲駅伝での控えを告げられたのは、レース前日の朝だった。

「1区から6区まで順にメンバーが発表されて......『あー、呼ばれなかったなぁ』って。その時はめちゃくちゃムカつきました。最近、すごく調子がよかったので、『なんでオレを呼ばないんだよ』って思いました」

 小松がそこまで言い切れるのは、絶対的な自信があったからだ。今年1月の箱根駅伝直前のような"絶好調"の域に達していた。

 今シーズンの小松は、トラックシーズンでなかなか思うような結果を出せなかった。

 箱根駅伝の8区を走って初優勝の立役者となり、一躍、時の人になった。その後、福岡クロカンで5位に入り、世界学生クロスカントリーに出場するまではよかったが、それから本気になれる目標を失い、気が抜けたようになった。関東インカレは1万mで33位と失速し、学生個人選手権の5000mでも37位と落ち込んだ。

 気持ちが乗らないといいレースができないことはわかっていたが、復調のきっかけをつかめず、「なんでかなぁ」と悩んだ。

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