神野大地、MGCで惨敗も納得。ファイナル挑戦は「狙いたいけど...」 (3ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Kishimoto Tsutomu

 神野は、中村がゴールしてから6分後にフィニッシュした。

「今日までしっかり準備をやってきましたし、自分の力を出した結果だと思うので、この結果を受け入れたいと思います」

 悔しさを噛みしめながら、神野は冷静にそう語った。

 高木コーチの言葉にもあったように、このレースに向けてやれることはやってきた。中野ジェームズ修一フィジカルコーチも「この2年の成長はすごかった」と、神野のマラソンランナーとしてのレベルが急速に進化したことを評価していた。

 だが、それでも最後まで勝負できるポジションにはいられなかった。中野コーチは言う。

「マラソンの強化を本格的に始めて、まだ2年ちょっと。そんな簡単に五輪の選手にはなれない。これをさらに4年続けていくことで、五輪レベルになれる感じだと思います」

 レースを振り返れば、20キロぐらいまでは互角に戦えた。しかし、そこからラップがガクンと落ちていった。

 15キロから20キロまではペースが上がった分、前の5キロ(1015キロ)よりも22秒速くなっていた。だが、第2集団から離れた20キロ以降は急激に落ち込んだ。とりわけ25キロから30キロは1643秒で、前の5キロ(2025キロ)より1分近くタイムを落としている。その後も3035キロは1713秒、3540キロは1746秒と、ペースダウンは顕著だった。

 逆に、優勝した中村や服部、大迫らは一番苦しいはずの35~40キロでペースを上げていた。神野がマラソンで勝つためには、レース終盤でペースを上げられる体づくり、足づくりが必要になる。

 レース前、神野は「36キロの坂から勝負」と語っていた。優勝した中村が見せたように、トップ集団でポジションをキープし、35キロ以降で勝負に出るようなイメージを神野も抱いていたはずだ。だが、12キロと予定よりもはるかに早く前に出て、集団から選手を振るい落とすようにレースを引っ張り始めた。

 なぜ12キロだったのか。なぜそこで前に出たのか。今回のレースを今後に生かすためにも、検証すべきところは多々ある。

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る