2019.08.28

「自分で自分をほめたい」。
五輪連続メダル・有森裕子の名言の舞台裏

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by PHOTO KISHIMOTO

PLAYBACK! オリンピック名勝負―――蘇る記憶 第6回

東京オリンピックまで、あと1年。スポーツファンの興奮と感動を生み出す祭典が待ち遠しい。この連載では、テレビにかじりついて応援した、あのときの名シーン、名勝負を振り返ります。

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 1992年バルセロナ五輪女子マラソンで有森裕子が獲得した銀メダルは、ある意味では奇跡的だった。

96年アトランタ五輪では3位。2大会連続女子マラソンでメダルを獲得した有森裕子 前年の世界陸上東京大会で、有森は2位の山下佐知子に続いて、日本人2番手の4位に入った。実績はある。だが、バルセロナ五輪直前合宿のジョギング中に木の根を踏み、踵(かかと)を痛めてしまっていた。

 バルセロナ入りすると、有森はシューズを作ってくれている三村仁司(当時・アシックス)を訪れ、泣きながら「棄権はしたくない。ジョギング用のアップシューズで走るしかない」と訴えた。三村は「何とかする」とレース用シューズを預かると、踵の部分をくり抜いて、クッション性の高い素材に入れ替えるなどの工夫を凝らし、彼女のシューズに応急処置を施した。

 そのような状況だったにもかかわらず、有森は35km過ぎに先頭を走っていたワレンティナ・エゴロワ(ロシア/当時はEUN[※]で出場)に追いつき、スタジアム入り口までデッドヒートを演じた。結果は、8秒差の2位。三村は「スタジアムの映像を見ていたが、有森が先頭に追いついてきたのには驚いた。競り合っている姿を見て涙が出てきた」と話した。
※旧ソ連のバルト三国を除く構成12国によって臨時に編成された選手団

 96年アトランタ五輪では、有森は前回メダリストとして、期待を一身に背負う立場になっていた。だが、バルセロナ後は走れない時期が続き、右の踵を手術。3年ぶりの復帰レースになった95年8月の北海道マラソンで優勝し、それが評価されて代表に選ばれた格好だった。

 7月28日のレースは早朝スタートで、しかも直前に雨が降ったこともあって、予想より涼しい中で始まった。すると、94年からボストンマラソン3連覇中の実力者ウタ・ピピッヒ(ドイツ)がスタートから飛び出し、ハイペースの展開になった。

 それに対して有森は「予想以上のハイペースの入りで、早くから集団の人数が絞られたので戸惑った」と振り返る。エゴロワやドーレたち主力集団の中で、有森は落ち着いたペースで走っていたが、11㎞過ぎで浅利純子と真木和が遅れはじめ、日本勢は有森1人になった。

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