箱根駅伝アンカーの郡司陽大が絶不調でも笑顔の理由。「不安はない」 (3ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Sato Shun

 その結果、復帰しても波に乗り切れず、レースで厳しい現実を突きつけられている。危機感を抱いた郡司は、現状打破のために西出仁明コーチからの提案を受け、新しいトレーニングに挑戦することを決意した。

「練習していても余裕がないし、関東インカレで走れない自分にもどかしさを感じていて、今のままじゃヤバいなって思いました。

 東海大の低圧室でスプリント系のトレーニングをするのですが、メニューがすごくきつい。追い込んで、追い込んで、吐くぐらいきついのですが、すぐに結果が出るということなので、やってみようかなと。すごく楽しみでした」

 西出コーチは、このトレーニングを複数の選手に打診したが、郡司以外、手を挙げる者はいなかった。郡司はもともと新しいことに取り組むことが好きで、追い込まれても耐えられるタイプ。新しいラボには最適の選手だった。

「そのトレーニングを全部で5回やったんですけど、3回しか満足にできなくて......。とにかく心拍数を上げて追い込むんですけど、きつくて吐きました。その後ゆっくりして、千歳の5000mに出場するという段取りだったんですけど、西出先生にそこからさらに追い込まれて(苦笑)。その影響もあって走りは悪かったですが、その状態で1411秒だったので、疲労が取れればもっといけるかなと思います」

 トレーニングの効果を見るためにフォーカスしていたホクレン千歳大会は、思うような結果が出なかった。それでも、続く深川大会の1万m295924で、なんとか30分を切った。

 その後、士別ハーフに向けて調整したが、直前に行なったポイント練習の8000mビルドアップ走の際、6000mでへばってしまい、厳しいレースになることは予想できていたと言う。

「そんな状態だったので無難に走るよりも攻めていこうと思ったんですが、全然ダメでした。最初から先頭集団についていけず、きつかった」

 この士別ハーフでトラックシーズンのレースは終わった。郡司は新しい取り組みに挑むなど攻めの姿勢を見せたが、思うような結果を出すことはできなかった。

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