箱根制覇に貢献。東海大・阪口竜平は
3000m障害で東京五輪を目指す

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Sato Shun

 こういう展開になるとは、今年2月まで阪口は思っていなかった。

 昨年7月、ホクレンディスタンス網走大会の2000SCに出場した阪口は、水濠を飛んで着地した時に左首足を挫(くじ)いて靭帯を損傷し、踝 (くるぶし)の骨も少し割れた。

 8月上旬、様子を見ようと軽くジョグでグラウンドに向かう途中に再度、左足首をひねり、靭帯を切ってしまった。患部を固定し、松葉づえをつく生活を余儀なくされ、約3カ月の長期離脱となった。

 出雲駅伝、全日本大学駅伝のアンカー候補だった阪口は、その2つの大会の欠場が決定的になり、両角監督から「もう3000SCはやらせない」とまで言われた。レース中の故障はともかく、8月のケガは自身の不注意から招いたものだったので、阪口は両角監督の指示に従うしかなかった。

 だからこそ、兵庫リレーカーニバルの3000mSCに阪口がエントリーされているのを見て、驚いた。

 動きがあったのは、2カ月間のアメリカ合宿中だった。阪口は館澤亨次(たてざわ・りょうじ)や鬼塚翔太らとともにアメリカに渡って練習していた。その時、両角監督から連絡があり、やや唐突に「今年は世界陸上があるし、おまえが3障(3000SC)に出たいならおまえの意思を尊重する」と言われたという。

「最初は『えっ?』と思いましたけど、うれしかったですね。ダメだと言われていたので......(苦笑)。なぜ監督の考えが変わったのかはわからないですけど、大きなチャンスを与えてくださったので、その期待に応えたいですし、今季、自分の最大の目標にしている世界陸上に出て、結果を残したい。その時に気持ちが切り替わりました」

 アメリカ合宿中、2月は筋トレなど体づくりの練習が中心だったが、3月になると本格的に走り込みを開始し、3000mSCの練習にも取り組んだ。

「3月はしっかりと距離をこなすことができて、1カ月の走行距離も箱根駅伝前よりも多い925キロになりました。さらにスピード練習、ハードリング練習もできて最終的に4キロ、体を絞ることができたんです。ハードリングでも軽さを感じられましたし、ハードリングの技術もアメリカのコーチに教えていただいて、すごく充実した2カ月でした」

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