神野大地、東京マラソンの内幕。なぜ今回は腹痛が起きなかったのか (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Sportiva

「前と差がかなり開いてしまったんですが、追う力を使わなかったというか、いい風に言えば、追う力を使わずにそのまま自分のペースでいきました。あそこで無理して追っていたら腹痛が出るか、25キロぐらいでダラダラになり、ゴールするのがやっとみたいなレースになっていたと思うんです。それだと、MGCを獲れない可能性が出てくる。タイムを見てもそんなに落ちていなかったので、最後まであきらめずに自分のペースで走ろう。そこはブレずにいました」

 しかし、自らを鼓舞して走るなか、神野は"中だるみ"に陥りそうになっていた。その時、神野はペースメーカーの村山紘太(旭化成)のうしろについた。走りながら、ケニア合宿のことを思い出したという。

「大会前のケニア合宿で、紘太さんと一緒に練習をしていたんです。あの時はキツかったなぁとか、こうして走っていたなぁとか思い出して走っているうちにペースが戻ってきたんです。そうして1人、2人と抜いていくと、『あれ、みんなペースが落ちてきてるな、これならいけるじゃん』って思って力が出てきたんです」

 村山とは1月のケニア合宿で同じ時期を過ごした。ホテル住まいだった村山が食事に困っていたので、日本食の食材持参で一軒家を借りた神野は、週に数回、日本食などのおもてなしをしたという。

「ケニアで合宿を一緒にやった鉱太さんがペースメーカーで走っていたのは、偶然とはいえ、僕にとってはラッキーでした。ケニアで一緒に走った人がいてくれたことで安心できたし、ここからペースを保って最後までいくことができた」

 レース後、神野は村山にすぐに連絡をした。

 感謝の言葉を述べると村山は「あそこからひとりで行けるのは、おまえの強さだよ。(MGC獲得)おめでとう」と、喜んでくれたという。

 ペースをつくり直した神野は、順位をどんどん上げていった。いや、寒さと疲労で、ほかの選手がどんどん落ちていったという方が正しいかもしれない。本命の大迫傑は29キロで寒さから体が動かなくなり、棄権。先頭集団にいた佐藤悠基(日清食品グループ)、中村匠吾(富士通)もズルズルと順位を落としていった。

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