東海大史上最強。箱根駅伝「山コンビ」はいかにして誕生したのか (4ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Nishimura Naoki/AFLO SPORT

 その間、中島は治療を続け、ようやくなんとか走れる状態まで回復した。6区で走ることは決まったが、練習量を減らし、ジョグの距離も落として調整することになった。

「レース当日は足に不安がないわけではないですが、過去2回走っているし、コースはよくわかっているのでそれほど心配していなかったです。レースは、最初の5キロの上りをどれだけ速く行けるか。下りは今シーズン、5000mで13分台を2回出してスピードはついているので心配していませんでしたが、あとは最後の3キロでした。そこをうまくまとめることができれば、5810秒台でいけると思っていました」

 最初の定点ポイントである芦之湯では、東洋大の今西が突っ込んだ走りを見せて14秒ほど差を広げられた。小涌園では逆に中島が7秒縮め、太平台では1分19秒差になった。

「最初、上りは突っ込んでいこうかなって思ったんですが、タイムを見ると昨年よりも早かったので『このくらいでいいかな』と。ただ、途中で時計がおかしな設定になってしまい、タイムがまったく見えなくなってしまって......。いつも感覚勝負なので、そんなに気にはならなかったんですけどね(笑)」

 太平台を過ぎると、中島はスピードを上げた。17キロの函嶺洞門では1分3秒差になった。そして残り3キロ地点で両角監督から声がかかった。

「いいぞ、秒差でトップできている」

 中島は、そこで初めて「自分が速いんだ」とわかったという。

「走りながら、沿道の応援とかチームメイトの声を聞いて『自分は速いんだろうな』というのは何となくわかっていたんですけど、タイムがわからないですからね。両角先生にはラストも『区間新を狙えるぞ』って言われたんですが、さすがに......きつかったです」

 中島は勝負どころになると考えていた最後の3キロは、下りで足を使ってしまい、もう余力がなかった。

「左足のくるぶしに痛みが出たあと、練習量を落としたんですけど、それで体は軽くなったんです。でも、練習ができていなかったので、最後は足がもたなかった。痛みはなかったんですが、完全に足がつってしまいペースを上げられなかった」

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