東海大史上最強。箱根駅伝「山コンビ」はいかにして誕生したのか (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Nishimura Naoki/AFLO SPORT

 そんな西田だが、競技に対する意識は高い。夏に実業団の合宿に参加し、昨年12月の福岡国際マラソンで優勝した服部勇馬(トヨタ自動車)と同部屋になった。そこで競技に対する姿勢や、日常生活におけるアスリートとしての意識の高さを学んだ。

 大学に戻ると、まずジョグの距離を長くした。また、もともと体が硬く、それが故障の原因にもなっていたが、体のケアに時間をかけ、メンテナンスに気を遣った。それから競技力が上がり、「自分の成長を楽しんでいます。山は、相当いけると思います」と自信満々の表情を見せるようになった。

 5区は、高校時代からの夢だった。これまで東洋大の柏原竜二や青学大の神野大地が5区を駆け、順位を一気に上げていく姿を見て「カッコいいな」と思った。体型が似ている神野の走りに自分を重ね、九州学院の恩師である禿雄進(かむろ・ゆうしん)に「必ず5区を走ります」と宣言していた。

 そして、ついに箱根の5区を任される時が来た。設定タイムは7330秒にした。

 トップ東洋大とのタイム差は2分48秒。4区の館澤から襷(たすき)を受けると、差をつめるために突っ込んで走った。

「うしろの青学との45秒差はまったく気にしていなくて、とにかく前を追おうと思っていきました」

 7キロの太平台で40秒詰め、2分8秒差になった。11.7キロ付近の小涌園では、1分43秒差まで縮めた。表情を変えることなく、淡々と山を駆け上がっていく。小涌園から芦之湯までの区間は縮まらなかったが、そこは"想定内"だったと振り返る。

「前から突っ込んだので、そこで少し落ち着いて、ラストの下りでどれだけ詰められるか。上りきったあとの下りが勝負かなと思っていました。自分は上りだけじゃなく、下りも得意なので......」

 山を上りきった時点で時計を見ると、設定タイムよりかなり速かった。

「これはいけると確信して、下りでギアを入れて走りました」

2 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る