自主性の尊重と組織改革で箱根駅伝V。
東海大の黄金時代が幕を開けた

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Nishimura Naoki/AFLO SPORT

 さらに両角監督を驚かせたのは、5区・西田の走りだった。「神野大地に似ている」という軽快な走りで山を登り、5区初挑戦ながら区間2位の走りを見せた。襷(たすき)を受け取った時点で2分48秒あった差を、一気に1分14秒まで縮めた。

「西田の走りは想定外でした」

 両角監督は苦笑するが、2区、4区、5区が見事にハマり、往路優勝こそ果たせなかったが、首位・東洋大の背中が見えるタイム差で復路に挑むことができた。

 復路で両角監督が重視していたのが7区、そして9区だ。

 6区の中島怜利(れいり/3年)は下りのスペシャリストで、昨年は区間2位。ある程度の走りは想定できるので、そこで一気に勢いをつけるためにも7区の走りが非常に重要だった。

 その7区だが、青学大が昨年の箱根で区間賞を獲得した林奎介(4年)を置いてきたこともあり、スピードランナーの阪口が抜擢された。そしてこの狙いもピタリとハマった。

 阪口は区間2位の走りで東洋大との差を4秒に詰め、8区の小松陽平(3年)につないだ。そして小松が区間新記録の力走で一気に首位に立つと、9区の湊谷春紀(4年)、10区の郡司も危なげない走りでトップを守りきり、ついに悲願の総合優勝を果たした。

 両角監督の狙いが面白いように当たり、選手たちものびのびと走ったことが最大の要因だが、この優勝は「このままではずっと勝てない」という危機感から生まれた選手たちの自発的な走りへの取り組みが大きい。

 全日本大学駅伝後、「どうしたら箱根で勝てるのか」ということを選手間で話し合った。両角監督からレース参加(関東学連記録会や八王子ロングディスタンスなど)を取りやめ、選手たちは合宿で"箱根仕様"の体をつくることになった。そのなかで、コンディションの調整は選手個々に委ねられた。

 責任を選手に持たせることで「走れない」という言い訳は通用しなくなった。初めて自分自身に向き合った選手たちは意識が変わり、各自でジョグの距離を伸ばしたり、独自の練習法に取り組んだ。

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