持ち前の修正力でガラッと走りを変更。山縣亮太が銅メダルを獲得する (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 奥井隆史●写真 photo by Okui Takashi

 その差は1000分の2秒。陸上の記録は100分の1秒単位で表示されるが、順位を決定するのは1000分の1秒で計測されて、その単位は切り上げとなる。山縣の記録が9秒997だったのに対し、オグノデは9秒995だった。

「記録はあまり狙っていなかったですし、自分がどこまで記録を出せるのかは走ってみないとわからないところでしたが、終わってみると正直悔しい気持ちの方が大きいですね」

 この結果は、蘇のすごさが本物であるということを見せつけられたが、山縣にとっても価値のあるものになった。

 前回、山縣が10秒00を出したときは、高速トラックである大阪の長居陸上競技場だったが、今回のトラックは表面にチップが敷かれていて柔らかく、反発をもらいにくいサーフェスだった。山縣自身もレース前にはその柔らかさを気にしており、実際、男子100m決勝の15分前に行なわれた女子100m決勝では思いのほかタイムが伸びず、記録が出にくいトラックという印象が強かった。そんなトラックで、なおかつアジア大会の決勝でそのタイムを出したことに意味がある。

 しかし、前日の予選の山縣の走りを見ていて、この結果は想像することはできなかった。予選第1組で出てきた彼の走りは、スタート後の加速区間で力を使っているように見えた。記録は向かい風0.1mの条件で、後半も伸びきらず10秒19。ラストで追い上げてきたトシン・オグノデに0秒03差をつけられる2位だった。

 予選後は、決勝に向けての改善点をこう話していた。

「持ちタイムも含めて、どういう存在かわからなかったけど、(トシンは)フェミ・オグノデの弟ということだけは知っていました。意識しないようにしようとしていたけれど、スタートのところで思った以上に存在を感じてしまった。

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