「勝つ、勝つ」。マラソン井上大仁は自分を追い込んで有言実行の金 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 奥井隆史●写真 photo by Okui Takashi

 さらに、この大会に向けての準備が万全にできていたという。体の不調もなく、予定していた練習をほぼ100%こなせていた。

 MHPS長崎の黒木純監督が、「今回は3カ月のマラソン練習を今までにないくらい落ち着いてやってきました。そこは、昨年の世界選手権の失敗が生かされていると思います。つい苛立ってしまいそうなときも、自分でしっかり『抑えて』という感じで、平常心を保とうとしていた」と言うように、精神面も安定していた。 

 暑さ対策も東京五輪へ向けての一環として行ない、「手のひらを冷やすといいと聞いた」と自らの発案で氷ではなく、握るための保冷剤を用意してレースに臨んでいた。こうした万全の準備ができているという自負もあった。

 スローペースなレースを最初に動かしたのは、もうひとりの日本代表の園田隼(黒崎播磨)だった。25kmを過ぎたあたりから先頭に出て集団を引っ張り出すと、30kmを過ぎてからはさらにペースアップして勝負を仕掛けた。しかし、抜け出すことができずに35kmでは集団を5人に絞るだけの結果になった。

 黒木監督は「集団の動きがなかったら、25km過ぎから揺さぶって集団をバラけさせろと言っていました。あとは37kmの上りを過ぎてからの下りで、思い切って行けと言っていたけれど、そこはバーレーンの選手が先に行ったので行けなかったですね。25kmを過ぎてからは園田くんが揺さぶってくれたので、そこはもう彼に勝たせてもらった感じです」と微笑む。

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