敗れた東海大で光った6区・8区は、次こそ箱根初優勝の布石となるか (4ページ目)

  • 佐藤 俊●文・写真 text by Sato Shun  photo by YUTAKA/AFLO SPORT

「昨年は10位、今年は5位。年々よくなっていますからね。青学みたいに4回も望まないんで、1回は勝ちたい。そのためならまた(6区を)走ります」

 中島は、そういうと、「また1年がんばります」と小さな笑みを浮かべた。

 *      *     *

 8区の館澤は、当日の朝まで箱根を走れるとは、本当に思っていなかったという。

「3、4日前に監督に言われてはいたんですが、正直、当日まで自分が走れると思っていなかったです。11月のセブンヒルズのレース(オランダ)がダメで、個人的にはそんなもんって感じだったんですが、周囲から見れば、15kmで失敗したというイメージが強かったと思うんです。

 その後、その印象を覆すような走りができていなかったですし、12月下旬の富津合宿も調子は悪くなかったですが、他にも調子の上がっている選手がいたので......自分はないかなぁって思っていたんです」

 しかし、最終的に8区の指名を受けたのは館澤だった。

 1月3日の朝、区間変更されたのだが、その直後からツイッターでは館澤の目を疑うような言葉がツイートされていた。

「館澤8区!? 終わった」
「館澤かー。無理だー」

 それを見た館澤は、気持ちが奮い立ったという。

「いろいろ言われて悔しかったですね。長距離、走れないみたいなイメージがあったと思うんで、絶対に見返してやるって思っていました」

 ツイッターの反応でモチベーションが上がった。館澤はさまざまな言葉を飲み込んで、ロードへ飛び出していった。

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