箱根駅伝V候補、東海大で懸念された「長距離への不安」が解消された (3ページ目)

  • 佐藤 俊●文・写真 text & photo by Sato Shun


「出雲駅伝で区間賞を取り、周囲の期待がすごく大きくなって、次(全日本大学駅伝)に求められる結果もすごく高かったんです。両角監督からも『4区を頼む』と言われてうれしかったんですが、それ以上に大丈夫かなっていう不安が大きくて......。

 それまで1万mをはじめ、長い距離を走っていなかったので、このまま全日本に出て自分が失敗するとチームに大きな迷惑をかけてしまう。その不安がどんどん大きくなって、絶対にやってやろうという気持ちが芽生えてこなかったんです」

 出雲以降、調子自体も少し落ちたという。両角監督からは「気持ちで乗り切れ」と叱咤激励されたが、迷いや不安を解消できず、気持ちがのらなかった。それが、あの日のポイント練習に影響してしまった。

「翌日、もう一度、ポイント練習をやって前日の選手よりもいい内容だったんですが、やっぱりあのタイミングで揃ってやるポイント練習が一番大事なんです。そのことがわかっていたので、あの練習をはずしてしまった時点で、次はないだろうなって思っていました」

 全日本大学駅伝の出走メンバー発表の日、阪口は治療に出かけていた。その帰りに両角監督から「治療から戻ったら部屋に来てくれ」というLINEのメッセージが入った。

「それで、あぁメンバーから落ちたなって思いましたね。部屋に行く前は、心の準備をして行きました。監督からは、『今回、全日本のメンバーから外れる。今の東海ではひとつの練習をはずせばこうなってしまう。そういうことを周囲にもわかってもらいたいから』と言われました。もちろん悔しい思いがあったんですが、メンバーから外れて少し気がラクになった部分もありましたね」

 その言葉からも阪口が抱えていたものがいかに大きく、精神的な負担になっていたのかがよくわかる。出雲で活躍したことで知名度と期待値が右肩上がりになり、これまで経験したことがないような大きなプレッシャーを肌で感じた。そこで一度でも長い距離を経験していれば、まだ余裕を持って受け止めることができただろう。

 しかし、1万mが未知の世界である阪口にはそんな余裕などなく、「走りたい」という意欲よりも「失敗したら」という不安の方が強かった。そんな自分が出ていいのか。長距離の経験がない以上、そう思ったとしても致し方ないが、そういう考えでいる自分を両角監督にも見抜かれ、阪口は全日本大学駅伝の椅子を失った。

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