「目立たなかった短距離メダリスト」高平慎士がクールに振り返る競技人生 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 写真●ロイター/アフロphoto by Reuters/AFLO

――最後のレースを終えてしばらく経ちますが、「やり切った」という気持ちはありますか?

「代表での個人の成績としては、五輪などでファイナリストになれなかったですし、200mで19秒台を達成できなかったので、不甲斐なかったかもしれません。ただ、満足する、納得するということは、『競技者として輝きを放つ』ということとはイコールにはならないと思っています。

 納得がいくまで自分を追い込むなら、末續(慎吾)さんのように現役で頑張り続けるのも正解だと思いますが、私自身は『目指していた部分はどこだったか』と考えたときに、もう厳しいかなと......。やり切らないと満足できないのかという葛藤もありましたけど、ここ数年は自分の体と相談しながら『そろそろ引き際かな』と考えていたので、ある程度は納得できていました」

――2003年の世界選手権200mで、末續選手が銅メダルを獲得した後に高平さんは代表デビューしました。「100m9秒台」や「200m19秒台」の期待も大きかったと思いますが、プレッシャーを感じたことは?

「私はあまり感じなかったですね。いい意味で"お兄ちゃん"が目立ってくれていたので、私は虎視眈々と狙っていける立ち位置でしたから(笑)。ただ、北京五輪のリレーで2走だった末續さんが、すごく苦しそうに走ってきたのを覚えています。いろんなことで疲弊していたのはわかっていましたし、その後の日本選手権で初めて末續さんに勝って優勝できたので、『重荷を分け合うことができたら』と思うようになりました。その後に末續さんは競技から一旦離れてしまいますが、そういう自覚を持つことができたのはよかったです。個人の記録も2009年が一番いいですし」

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