【東海大・駅伝戦記】箱根に通じる最終レースで部員同士が火花を散らす (3ページ目)

  • 佐藤 俊●文・写真 text & photo by Sato Shun

 18kmを過ぎると、日本人トップ集団は關をはじめ、湯澤、西川雄一朗(2年)、高田凜太郎(2年)、郡司陽大(あきひろ/2年)に早稲田大、駒沢大らのランナー加え、11名に絞られ、20km地点では關、湯澤を含めて7名になった。

「ラスト、行きたかったんですが足が動かなくて......。結局、中途半端な引っ張りで終わり、逆に周囲に利用されて勝負どころで対応できなかった」

 そのまま片西に前にいかれ、關はついていくことができなかった。

「思い描いていたレース展開ができなかったです。タイムが物足りないですし、その中で勝負にも勝てないっていうのは、完全に力不足です。強風の中、自分が前で引っ張らずに走っていたらどうなっていたのかなって思うことはありますが、僕は引っ張って勝ち切ってこそ本当に力のある選手だと思うので、それができなかったというのは、まだまだやるべきことがたくさんあるなって思いました」

 上尾ハーフでタイムを出し、20kmに対していいイメージをつかみ、自信を持って箱根に向けて調整していきたかったのだろうが、すべてがネガティブに終わったわけではない。自分でペースを作り、レースの主導権を握って走る展開はこれから世界で外国人選手と戦う上で非常に重要なことだ。その姿勢を貫いたことは高く評価されるべきだろう。それ以外にも關が自分になりに感じた収穫がある。

「後半17、18kmぐらいがキツかったんですけど、落ちずに粘って走り切れたのはよかったです。ハーフに対する苦手意識はないですし、昨年に比べたら20kmを走れる足になってきていると思うので、そこは手応えをすごく感じています」

 關はそう言って、ちょっとホッとした表情を見せた。

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