全日本大学駅伝で東海大Vの
カギを握るのは「出雲を外された4年生」

  • 佐藤 俊●文・写真 text & photo by Sato Shun

――出雲の時は、つらいというより寂しそうな感じだった。

「うーん、やっぱり自分が走らない優勝は微妙ですよ。みんな、優勝してワーッとなっている時、自分は違う場所にいて、そういう喜びも感じれられなかった。『おめでとう』とは思いますけど、同時にコノヤローみたいな気持ちもあり、複雑でしたね(苦笑)。モヤモヤして、出雲の翌日の朝練、ひとりで出雲路を走りましたもん」

 川端が出雲に出場できなかった悔しさは、相当なものだった。

 1年生の時に箱根を走り、駅伝界にデビューした。その走りから将来のエース候補と称され、その後も3大駅伝を走り続けてきた。

 だが、4年生になって初めて駅伝を走る区間メンバーから外された。

「9月の紋別での夏合宿で監督に『出雲はスピードのあるメンバーでいきたいので、今回は難しい』って言われて......。それもそうやなって思いましたけど、やっぱり言われた時はショックでしたし、反発心が出ました。マジかよって」

 川端が補欠という現実を受け入れられなかったのは、もちろん4年生としてのプライドや意地があるが、何より苦しい時間を経て、戦えるだけの力が身についてきたという自負があったからだ。

 川端は1年の箱根で衝撃的なデビュー(エース区間2区で7位)を飾った後、2年時の箱根駅伝前に髄膜炎を発症し、入院した。そのシーズンの箱根では7区を走ったが1時間5分55秒で区間10位に終わり、満足のいくレースができなかった。その後もしばらく元のフォームを取り戻すことができず、苦しい時を過ごしたという。

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