エース桐生祥秀が世界陸上100m代表落ち。日本短距離は戦国時代に突入 (4ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 中村博之/PICSPORT●写真 photo by Nakamura Hiroruki/PICSPORT

 指導する東洋大の土江寛裕コーチは「身体的にはまったく問題はないですが、精神面でのピーキングという面で失敗したのかもしれません。今シーズンいい滑り出しをしましたが、ダイヤモンドリーグ上海大会で失格してからは、失敗はないものの70~80%というレースが続いていた。もう一歩というレースが続く中で神経的な疲労が溜まっていたのかもしれない」と話す。

 その点では、日本陸連の伊東浩司強化委員長が以前から話していたように、高3で10秒01を出して以来、桐生が9秒台への期待を背負い続けてきた精神面の疲労は他人の想像を遥かに超えるものだろう。

 その伊東強化委員長はこうも言う。

「全米選手権ではタイソン・ゲイが予選落ちしたように、世界の傾向をみると五輪の翌年はトップ選手の記録が落ち気味になる。それだけ五輪に向けて追い込んでいたということだから、銀メダルを獲った彼らは少し落ちるところです。桐生も山縣も春先からいい記録を出してはいますが、私は五輪の翌年はまったくダメだったので。今回の結果がどうこうではなく、2020年から逆算して考え、誰が出てくるかわからない状況で、たくさんの選手が高いレベルでスタートラインに立ってもらえればいいと思う」

 五輪に出場した選手にとっては、精神的に少し休養をとらなくてはいけない年なのだろう。それでも選手である限り、強くなりたいという思いを止めることはできない。

 同じリオ五輪銀メダルメンバーの飯塚翔太(ミズノ)は「リオの銀メダルで自信を持つことができた。リレーで活躍できたことで自分の殻を破ることができたと思うし、世界で通用する力を持っていることを確認できた」と話す。同じように、桐生も山縣もケンブリッジも気持ちを休ませることなく、自分への期待を膨らませて9秒台一番乗りを強く意識して走り出していたのだろう。

 だからこそ山縣は、五輪直後の全日本実業団で10秒03の自己新を出し、冬の間も積極的なトレーニングをして、3月のオーストラリアでは早々に10秒0台を連発するまでに仕上げた。

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