箱根から世界を走った「早稲田の竹澤健介」が、初めて語る引退の真相 (4ページ目)

  • 酒井政人●取材・文 text by Sakai Masato

 体の状態を考えれば、「最後までよく走った」と思うのは筆者だけではないだろう。だが、さらなる高みを目指していた竹澤は、自身のピーク時代を振り返りながら「その先」についてこう語った。

「僕は早稲田に対する憧れが強かったので、『早稲田の竹澤』と言われるのは素直にうれしかったです。プレッシャーは特にありませんでした。それよりも『いかに走るのか』といった競技のことに頭を使っていましたね。箱根駅伝は独特の面白さがありましたし、それが将来につながるのが一番いい。僕はつなげられなかったですけど、強化の方法によっては箱根を走った選手が世界で活躍することは可能だと思います」
 
 強化の参考例として、竹澤はアメリカのスター選手の名を挙げる。大学3年生がピークだった竹澤としのぎを削った、ナイキ・オレゴン・プロジェクトに所属するゲーレン・ラップだ。同じ1986年生まれのふたりは、2007年の大阪陸上世界選手権1万mに出場。ラップが11位、竹澤が12位だった。その後、ラップはロンドン五輪の1万mで銀メダル、リオ五輪のマラソンで銅メダルを獲得している。

「ラップ選手は2007年の米国・カージナル招待1万mでも、僕のすぐ前にいた選手です。当時は、あまり差があるとは感じていませんでした。でも、彼が世界で活躍している姿を見ると、やっぱりやり方なんだなと思います。

 僕のように目の前のレースに合わせていくのではなく、長いスパンで考えて、綿密にトレーニングを積んでいったんじゃないでしょうか。彼は故障をほとんどしていないですし、土台をしっかり作った上で強化を行なったから、あれだけ高いところにたどり着いたんだと思います。決して駅伝が悪いというわけではなく、僕には先を見る意識が足らなかったんです。当時は若かったこともあって、目先のレースに飛びついてしまいましたね」

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