箱根から世界を走った「早稲田の竹澤健介」が、初めて語る引退の真相 (2ページ目)

  • 酒井政人●取材・文 text by Sakai Masato

 早稲田大時代、箱根駅伝で3年連続の区間賞を獲得し、大阪世界陸上選手権(1万m)、北京五輪(5000m、1万m)にも出場。竹澤は「箱根から世界へ」を体現したランナーだった。大学3年時には1万mで日本人学生最高記録(当時)の27分45秒59を、5000mで日本学生記録の13分19秒00をマークしている。しかし、その頃から「崩壊」は少しずつ始まっていた。

 近年、竹澤が苦しんでいたのは、「左足のグラつき」だ。傍目からは異変が見えづらいその症状を、周囲に理解してもらうのは「簡単じゃない」と語る。

「左足がどこにいくのかわからないんです。自分の足なんですけど、着地したい場所に着くことができないという症状が、4年ほど前から続いていました。痛みに関しては受け入れていたんですけど、足の不安定さはどうすることもできなくて。突然ガクッと内側に落ちてしまうこともありました。シューズ内にインソールを入れて、足首をテーピングで補強して、それから体幹を鍛えるなど、あきらめずにいろいろと試したんですけど......」

 しかし、左足の症状は改善されず、それどころか、ジョギングもまともにできなくなるほどに悪化していく。

「着地して地面を蹴った足がどこにいくのかもわからないので、練習中に止まってしまうこともありました。それに、ずっと足に意識がいっているので、集中力がもたないんですよ。30分、40分くらい走るだけで、脳みそが疲れちゃうんです」

 左足のケガとの戦いは日常生活にまで及んだ。朝起きて、足を1歩踏み出す際にも、左足に神経を使わねばならず、最終目標ともいうべき「マラソン」のスタートラインに立つことすらできなかった。

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