【月報・青学陸上部】苦しんだ下田裕太は『君の名は。』に学んで走る (5ページ目)

  • 佐藤 俊●文 text by Sato Shun  photo by Aflo


 原監督は、下田の努力を高く評価し、信頼していたのだ。下田は高校時代、5000mのベストが14分40秒ぐらいの、特別な実績がない選手だった。1年生の時も原監督曰く「格好悪いフォーム」で、前途多難を感じたという。ところが"青トレ"をはじめコアトレーニングに励み、筋肉の名称と動きを勉強し、自分のフォームに生かした。今ではトレーナーと同等の専門知識を持つようになったという。その結果、フォームがきれいになり、早く走れるようになった。下田は地道な努力をたくさん重ねて、表舞台へと飛び出してきたのだ。

 下田は原監督の言葉を受け、黙々と練習を続けたという。

「監督がそう期待してくれたことはうれしかったです。でも、自分はこのくらいで走りたいという理想があって、その理想と現実の走りに大きな差があるなっていうのを感じていました。そのギャップに正直、叫びたくなったし、塞ぎこんだりもしました。でも、じゃあどうすればいいのかっていうと、もう走るしかない。逃げたらダメだと思うんです。なかなか気分が乗らなくて、練習でも追い込むことができないこともあるんですが、そこで逃げたら終わってしまうんで」

 壁をブレイクスルーするために、下田が重視したのは原点回帰だった。チームの練習以外にも新宿のスポーツモチベーション(中野ジェームス氏が主宰するセミナー)に通い、トレーニングを続けた。メニューの消化率が低いことが気になったが、それでも腐らずに通いつづけた。朝、夕とジョグもしっかりこなした。大学1年の時から地道にトレーニングをつづけ、走る力をつけて結果を出してきた。下田にとっては、それが自身を成長させ、結果を生むルーティンなのだ。

「いろんなものを背負って走ることや責任感っていうのはすごく大事ですが、僕はそれに押しつぶされるような選手になりたくない。そういうプレッシャーを糧にして走れる選手になりたい。今の自分はマックスだと思っていないんで、箱根で調子を上げられるように今やれることをやっていく。信頼してくれる監督のため、仲間のために走るのがチームスポーツだし、駅伝だと思うんで」

 下田は、このときも自らに言い聞かせるようにそういった。

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