【月報・青学陸上部】反骨のランナー・中村祐紀が全日本駅伝にかける思い (3ページ目)

  • 佐藤 俊●文・写真 text & photo by Sato Shun

 原晋監督は2次合宿を終えた後、3次合宿で若干の選手の入れ替えを示唆していた。調子が上がった選手を3次選抜合宿に合流させたいという考えを持っていたのだ。そこで一番に名前が挙がったのが、中村だった。

「中村が選抜でやらせてくださいと言ってきたら、3次合宿に連れていく」

 原監督は中村に直接そのことを伝えなかったが、門は開かれていたのだ。だが、中村は相模原に残った。

「監督のその話は田村から聞きました。でも、僕の方からは『行きたい』と言えなかったです。2次合宿が終わった後もまだ痛みが残っていましたし、その状態で選抜に行っても練習を離れるリスクが高かった。足を引っ張るぐらいなら選抜に行かず、残って調整して万全の状態にしたいと思ったんです」

 中村の決断は結果的に正しかった。

 妙高高原での3次選抜合宿が終わった後、相模原キャンパスで学内TT(タイムトライアル)が行なわれた。すでに出雲駅伝のエントリーメンバーが発表され、中村はメンバーから漏れていた。悔しさを抱えて走り、タイムは14分を切れなかったが、出雲駅伝組の中に割って入って7位となり、健在ぶりをアピールしたのである。

「くそっ。これでなんで(出雲駅伝の)メンバーに入れないんだよ」

 レースが終わった直後、ひとり言のように発した言葉が印象的だった。やはり出雲を走れないのが相当悔しかったのだ。

「2次合宿に行けなかった時点で出雲は難しいなって思っていたんですが、実際メンバーから落ちると、すごいショックでした。昨年、走っていたので今年もという気持ちが強かったからです。出雲は寮でみんなと応援していたんですが、やっぱりテレビで下田や田村が走っているのを見ていると、『何してるんだろう』っていう気持ちになりましたね。

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