あのマラソン金メダリストも
「幻のハリマヤシューズ」を愛用していた

  • 石井孝●文 text by Takashi Ishii

 たどり着いたハリマヤの事務所は想像していたよりも手狭だったが、出荷前のシューズの箱が雑然と積まれていて、人の出入りも慌ただしく活気があった。谷口はここで、ベテランの靴職人にシューズの相談に乗ってもらった。

 谷口に限らず、多くの陸上選手たちが事務所を訪れては、「シューズのここが当たる」「あそこが合わない」などと意見を言うのを、靴職人が広げたり削ったりして、ランナーにとっての最高の一足に仕上げていった。ハリマヤもまたそうした選手の意見を次の商品開発にフィードバックした。

「僕はよく事務所に行ってシューズをいただいたり、レストランで夕飯をごちそうになったりしました。行けば栄養をつけてもらった時代でしたね」

谷口のためにハリマヤが作った特注シューズ。踵のソールが厚い谷口のためにハリマヤが作った特注シューズ。踵のソールが厚い

■職人たちの想いを胸に、谷口浩美は箱根を走った■

 ハリマヤは一般的な知名度は低いが、陸上専門のシューズメーカーとして新しい技術や素材を取り入れた競技モデルを作り、国内のトップクラスの大会でしのぎを削るランナーたちに愛された。

 ハリマヤのサポートを受けた谷口は日体大2年生のとき、箱根駅伝の6区を任された。以来、谷口は卒業まで6区を走り続け、「山下りのスペシャリスト」としてその名を馳せることになる。

 6区は復路の第1走者で、往路の山上り5区と同様に勝敗の帰趨を決する重要な区間だ。箱根湯本まで一気に下る標高差864m、平均時速25kmのハイスピード勝負で、つづら折りの小さなカーブが連続し、膝に大きな負荷がかかる。おまけに山を下ってから中継地点までのラスト3kmは平坦だが、箱根の山を全力疾走で下ってきたランナーには上り坂かと錯覚するほど足に重く、急にブレーキがかかる。これまで多くの逆転のドラマを生んできた、ランナーにとって過酷な区間として知られている。

4 / 6

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る