4×100m銀メダル。偉業の裏には
積み上げてきた挑戦の歴史がある

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by JMPA

 個人の成績は、100m準決勝で10秒05の自己新を出した山縣以外は納得できない結果に終わっていた。桐生祥秀は自分の走りができずに予選落ちし、ケンブリッジ飛鳥は準決勝で隣のジャスティン・ガトリン(アメリカ)の好スタートに圧倒されて力んでしまい、タイムを落としていた。そして200mに出場した飯塚翔太は「うまく走ろうとし過ぎてしまった」と、予選落ちしていた。

 それでも、日本陸連の苅部俊二短距離部長は「山縣は自己ベストを出していたし、ケンブリッジも準決勝へ進んでいた。桐生も予選落ちとはいえ、走り自体はそんなに悪くなかったし、飯塚もスタートで出遅れるミスをしたが悪い走りではなかった。みんな調子も悪いわけではないので、リレーは大丈夫だと思っていた」という。心配された桐生も予選のあとには「100mでは悔しい思いをしましたが、リレーは別物だからそれを引きずってはダメなので、今日は役割を果たすために走った」と、しっかり気持ちを切り換えていた。

 それまでの日本記録は、07年世界選手権で出した、塚原直貴と末續慎吾、高平慎士、朝原宣治の38秒03だった。昨年8月に行なわれた世界選手権のころは、けが人が続出の短距離だったが、今年に入って桐生、山縣の2本柱と飯塚が復活した。

 さらに各個人の走力も以前より確実に上がっていた。そんな状況を選手たち自身も承知しているだけに、それぞれの選手が9秒台や19秒台を出さなければいけない記録だと意識するのと同じように、「37秒台はメダル獲得のためには絶対に必要な記録」と意識していた。

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