鈴木亜由子に次ぐ新星・関根花観「東京五輪はマラソンで出場したい」 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 村上庄吾●写真 photo by Murakami Shogo

 出身は東京都町田市で、「小さいころは人と競争するのが嫌いだったし、駆けっこも好きではなかったんです」と幼少期を振り返る。

「中学も最初はソフトテニス部に入ったけど、陸上の助っ人に駆り出されたら市の大会で優勝して、東京都の大会では4番になって......。いつの間にか陸上という感じでしたね。中学1年の時はテニスを取るか、陸上を取るかで結構悩みました。でもテニスはペアに恵まれなかったりしたら試合にも出られないけど、陸上は自分が頑張る分だけ結果がついてくるので、そういうところに引かれて中学2年で陸上に絞りました」

 中学3年で出場した全日本中学は1500m決勝に進出してブービーの14位。自己記録は全国中学ランキング17位ながらも、宮城県の仙台育英高校から声がかかった。

「最初は都内の高校に行くつもりだったけれど、夏の終わりに声をかけられて。話を聞く前は『絶対に東京を出たくない』と思っていたけど、いざ話をしてみたら監督にうまく乗せられて(笑)、『やってみたいな』とガラッと変わったんです」

高校1年の全国高校駅伝は2区を走って、チームの3位入賞に貢献した。しかし、東日本大震災の影響を受けて、ほかの選手たちと一緒に愛知県豊川高校へ移籍。2年時はルールにより高校総体に出られず、全国高校総体には3年間縁がなかったが、2年のときに出場した全国高校駅伝は4区区間2位でチームは2位に。3年では2年生エースの鷲見梓沙(すみ あずさ/ユニバーサルエンターテイメント)が故障上がりというなかで、エース区間の1区を区間3位で走ってチームを勢いに乗せ、2年ぶり4回目の優勝へと導いた。

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