【マラソン】名古屋の激闘を制した田中智美と山下監督の二人三脚 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 中村博之/PICSPORT●写真 photo by Nakamura Hiroyuki/PICSPORT

 山下監督の懸念通り、35kmまでを16分48秒で走る粘りを見せた小原は、一時、田中に16秒差をつけられながらも37km手前で追いついてきた。

「追いついて並走になったときに、田中さんはまだバネのある走りをしていたので怖いなと。離そうと思っても離れないので、ラスト勝負になると感じました」と小原は言う。

 その言葉の通りに田中の走りはキルワのスパートに対応した時も、小原と並走になった時も崩れていなかった。さらに「キルワさんがスパートした時も、勝ちたいという思いしかなかったので対応できた」と、勝利に対する強い気持ちで走っていたという。

 その戦いに決着がついたのはゴール前130m、最後のカーブの手前。内側のコースを取って前に出た田中が、小原に1秒差の2時間23分19秒でゴール。後半を前半より13秒速いタイムで走りきってみせた。

「ゴールした時には横浜で優勝した時のように山下監督が駆け寄ってくれるだろうから飛びつこうと思っていたけど、監督を見たらウルウルしていたので私も泣いてしまった」と笑う田中。

 山下監督は「レース勘と度胸だけは持っていたけど、スピードやスタミナなどすべてが弱い子だったので……。これまでの自己ベストが2時間26分05秒だったから、そこから縮めた3分分が、すべての面で万遍なく培ってきた結果だと思う」と評価した。

 座右の銘は“疾風に勁草を知る”だという田中。自分がその勁草になれたと思えたのは、2015年の世界選手権代表になれなかったときと、夏の練習で足底を痛めたときだったと言う。

 リオを狙う戦いのきっかけは、その世界選手権落選だった。山下監督が言う。

「まだ完成していないというのは何度も話しているけど、彼女の人生もあると思うので私がそこを『東京五輪まで』と引っ張るものでもないですし。だから壊れてしまうのも覚悟でキャパシティを広げようと思ったんです。今回は紙一重でいい方に転がったけれど、ダメだったら申し訳ないという責任はずっと背負っていました」

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る