「もう大失速しない」福士加代子をリオへ近づけた鬼のような練習 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 藤田孝夫●写真 photo by Fujita Takao

 派遣設定記録突破で優勝。まだ3月の名古屋ウイメンズマラソンは残っているが、リオ五輪代表の有力候補として名乗りを挙げた。

 その成功の要因のひとつとして、マラソンの練習方法を思い切って変えたことがある。

 永山監督が福士の大阪への出場を決めたのは、昨年12月13日の全日本実業団女子駅伝のすぐあとだったという。故障中だったにも関わらず、メンバー不足で福士は3区を走ったが、区間15位という屈辱的な結果に終わっていた。

「大会が終わってすぐに『大阪へ行くよ』と言ったのですが、まだ足に痛みがある中で年明けまで無理をさせました。でも大阪を走る以上はやらなければいけないから、その押し問答で彼女と衝突をしながら練習をやらせていた感じです」

 昨年の春に右足の甲を2度疲労骨折して手術を受け、夏にも再び右足の甲を疲労骨折していた福士。9月に入ってから出場を決めた10月11日のシカゴマラソンでは、マラソン練習がわずか1カ月強だったにも関わらず、自己ベストに4秒遅れるだけの2時間24分25秒でゴールをしていた。ここで組んだ厳しいスケジュールは、福士の性格や潜在能力を考えれば、1カ月強のマラソン練習で、十分に走れるという実績を踏まえてのことだった。

「彼女が持っているスピードを生かしたままで、マラソン練習をさせたいという考えはもともと持っていました。だから、男子の高岡寿成選手が02年のシカゴで2時間06分16秒を出すためにやったマラソントレーニングを参考にし、それに私が海外で学んだトレーニングをミックスする形でやりました」

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