それでもリオへ挑戦するのか。市民ランナー、川内優輝の揺れる心 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 中村博之●写真 photo by Nakamura Hiroyuki

「第2集団にも離されてから、給水のたびに水を左足にかけていたら、違和感が薄くなってきたので追いかけようと思いました。でもその時はもう、追いつけるような差ではなくなっていて......。走りながら、8月の世界選手権で前田和浩選手(九電工)が痙攣(けいれん)を起こしたのを見て『調整不足じゃないか』と言った天罰だと思いました。『痙攣をした状態で走るのはこんなにきついんだ』と思いながら走っていました」

 こう話す川内だが、25kmを過ぎてからはそれまで5kmあたり16分台に落ちていたペースを15分台に戻して、落ちてきた選手を抜き始めた。そして35km手前では12位で走っていた大塚良軌(愛知製鋼)に追いつくと、ふたりで競り合いながら順位を上げた。ラスト勝負では大塚に2秒だけ競り負けたが、2時間12分48秒で8位のゴール。日本人の中では4位まで順位を上げる、せめてもの意地を見せた。

「2月に左ふくらはぎを痛めていたけど、それは治っているはずだし、9月くらいからは違和感もなくなって徐々に調子が上がっていたので、その影響ではないと思います。完璧とはいえなかったけど、11月1日のニューヨークシティマラソンも6位で走ったし、そのあとの上尾シティハーフマラソンもそこそこ走れていたので、今回もそれなりに走れると思っていました。ただ、2週間前に体調を崩して寝込んでいた時があったので、それが響いたのかもしれません」

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