競歩銅メダル・谷井孝行が語る「リオ五輪への4年計画は順調」 (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 築田純●写真 photo by Tsukita Jun

 それからは4年計画で考え、まず初めに3時間43分台だった自己記録を3時間40分まで伸ばすために、練習内容を量から質を求めるものに変えた。その上でレースの駆け引きを覚えていけば、世界大会でも勝負できるのではという考えだった。

 13年世界陸上もそのステップの一環で9位になり、昨年のアジア大会では山崎勇喜(自衛隊)が持つ日本記録に7秒まで迫る、3時間40分19秒を出して優勝と準備は進んだ。

 それが今回、銅メダル獲得という形で現れた。

 高校2年で世界ユースに出場し、銅メダルを獲得すると世界ジュニアの出場も果たした。日本大学4年時には04年アテネ五輪代表にも選ばれた谷井。その後は世界大会の常連になったが、成績は下位止まりで失格も多かった。05年には1歳下の山崎が世界陸上50kmで8位になり、07年には2歳下の森岡紘一朗(富士通)が世界陸上20kmで11位と結果を残す中で谷井は3番手、4番手という位置に甘んじていた。

「あの頃はどうやって成績を伸ばせばいいのかも見えなくて、右往左往していました。確かに山崎や森岡に結果を出されたのは悔しかったけど、自分がまったく見えていなかったので対抗する余裕もなかったですね。それでも代表になれていたのはひとつの支えになっていたけど、ジュニア世代から世界大会に出ていたプライドはボロボロになり、辞めたいという気持ちにもなりました」

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